第21ステージ クレテイユ〜パリ/シャンゼリゼ 95km
2011.07.25

クレテイユ
【CRETEIL】
1965年にヴァル・ド・マルヌの県庁所在地となったクリテイユは、パリからほんの8kmのところに位置し、またセーヌ川とマルヌ川に挟まれたイル・ド・フランスの東南にある。旧市街であるこの街は長い年月をかけこの街の独自性を築き上げ、さらに1960年以降においては急成長を遂げた。この発展は、人々の都市化現象が大きく影響していると言える。その中でも建築家の個性を惜しみなく反映させた建築物がとりわけ際立ち、そのうちのいくつかはローマ建築賞のグランプリに輝いた。また住宅地から公園、図書館など公共施設へのアクセスの良さは群を抜き、一度この街に住んだら離れられなくなるだろう。さらに数々の花がこの街を彩り、その花の美しさ故、過去にフランス国内で最も名誉ある賞の1つを受賞したこともあるのだ。花と建築に恵まれたこの街は、絶え間ない環境維持開発を通じて現代社会における必需品や生活の質を十分に満たしている。またそういう活動を住民と一体になって意欲的に行うことで、住民たち自身が将来を築き上げていくというスタイルを取っているのだ。
この街にツール一行が訪れたのは、過去に3度ある。その中でも、1983年は特に印象深いレースだったと言えるだろう。この街があるヴァル・ド・マルヌ県のノジャン・シュル・マルヌで大観衆がスタートを見送ったこの年のツール。3週間の長旅を迎え、最終日にローラン・フィニョンが総合優勝を飾ったことで、再びこの街の名前が知れ渡ったのだ。フィニョンが当時所属していたUSクリテイユは、グレッグ・レモンやトラック界の名選手、ダニエル・モレロンやピエール・トランタン、ファブリス・コラらも所属していた。そして現在では、トラック競技のスプリント世界チャンピオン、グレゴリー・ボジェがそこのチームに所属していることでも知られる。

パリ/シャンゼリゼ
【PARIS CHAMPS-ÉLYSÉES】
パリがお菓子や美術、ファッションを愛するように、パリはツールを愛して止まない。世界最高峰の美しさを誇り、誰もが1度は通りたいと憧れるシャンゼリゼの道を疾走する選手たちを一目見ようと、世界中から足を運ぶ人の数は知れない。まさにツールの華は、華の都パリによって飾られるのだ。ツールだけでなく、パリは自転車環境に対しても繊細な配慮をしている。近年、パリ市内には自転車専用道路が引かれ、その距離は700kmにも及ぶ。また毎週日曜日や祝日には、河岸の道では一般車両を通行止めにして歩行者と自転車のみが通行できるようにしているのだ。そして今年は、市が提供している自転車貸出システム「ヴェリブ」のサービスが始まって4周年を迎える。ヴェリブはサービス開始以来1億人以上の人が利用し、絶大な人気を集めている。また利用システムの手軽さも人気の1つと言えるだろう。最短で1日から利用でき、その間は何度でも乗り降りができる。または1年単位での登録制度もあり、1年利用の登録者数は実に全利用者数の76%を占め、年1回の更新でその間は自由に何度も利用できるのだ。より快適に、よりシンプルに、そしてより安くすることで、ヴェリブの利用者を増やし続けている。そして利用者数の増加によって、2020年までに25%の温室ガス削減が見込まれている。
1975年以降、シャンゼリゼ通りはツールの長旅の到着地として戦いを終えようとする選手たちを迎えてきた。そして現在ではこのシャンゼリゼは、世界のスプリンターたちの憧れの地でもある。長く険しい過酷な山岳を乗り越え、なんとか掴んだポイント賞ジャージも、このパリ・シャンゼリゼを終えてみなければわからない。奪ジャージ取を狙うスプリンターたちが、集団の中で息を潜めているからだ。山岳賞ジャージや新人賞、そしてマイヨ・ジョーヌはほぼ確定視される中で、最後のジャージ、ポイント賞争いが繰り広げられる。
3週間に及ぶ長旅もいよいよ終焉を迎えた第21ステージ。一行はクレテイユを出発し、パリ・シャンゼリゼで幕を閉じる、95kmの最後の旅路へ出発した。シャンゼリゼ通りを3周回した後に現れる中間スプリントポイントと、今大会の終わりを告げるフィニッシュライン通過ポイントでスプリントポイント賞が決定し、すべての結果が出揃うこととなる。シャンゼリゼへ向かう道中では、選手やスタッフが今年の覇者に輝くカデル・エヴァンスを、余すとこなく祝福した。そして、最後の決戦が本格的に始動。スプリンターたちの最終決戦が繰り広げられた…。

【CRETEIL】
1965年にヴァル・ド・マルヌの県庁所在地となったクリテイユは、パリからほんの8kmのところに位置し、またセーヌ川とマルヌ川に挟まれたイル・ド・フランスの東南にある。旧市街であるこの街は長い年月をかけこの街の独自性を築き上げ、さらに1960年以降においては急成長を遂げた。この発展は、人々の都市化現象が大きく影響していると言える。その中でも建築家の個性を惜しみなく反映させた建築物がとりわけ際立ち、そのうちのいくつかはローマ建築賞のグランプリに輝いた。また住宅地から公園、図書館など公共施設へのアクセスの良さは群を抜き、一度この街に住んだら離れられなくなるだろう。さらに数々の花がこの街を彩り、その花の美しさ故、過去にフランス国内で最も名誉ある賞の1つを受賞したこともあるのだ。花と建築に恵まれたこの街は、絶え間ない環境維持開発を通じて現代社会における必需品や生活の質を十分に満たしている。またそういう活動を住民と一体になって意欲的に行うことで、住民たち自身が将来を築き上げていくというスタイルを取っているのだ。
この街にツール一行が訪れたのは、過去に3度ある。その中でも、1983年は特に印象深いレースだったと言えるだろう。この街があるヴァル・ド・マルヌ県のノジャン・シュル・マルヌで大観衆がスタートを見送ったこの年のツール。3週間の長旅を迎え、最終日にローラン・フィニョンが総合優勝を飾ったことで、再びこの街の名前が知れ渡ったのだ。フィニョンが当時所属していたUSクリテイユは、グレッグ・レモンやトラック界の名選手、ダニエル・モレロンやピエール・トランタン、ファブリス・コラらも所属していた。そして現在では、トラック競技のスプリント世界チャンピオン、グレゴリー・ボジェがそこのチームに所属していることでも知られる。

【PARIS CHAMPS-ÉLYSÉES】
パリがお菓子や美術、ファッションを愛するように、パリはツールを愛して止まない。世界最高峰の美しさを誇り、誰もが1度は通りたいと憧れるシャンゼリゼの道を疾走する選手たちを一目見ようと、世界中から足を運ぶ人の数は知れない。まさにツールの華は、華の都パリによって飾られるのだ。ツールだけでなく、パリは自転車環境に対しても繊細な配慮をしている。近年、パリ市内には自転車専用道路が引かれ、その距離は700kmにも及ぶ。また毎週日曜日や祝日には、河岸の道では一般車両を通行止めにして歩行者と自転車のみが通行できるようにしているのだ。そして今年は、市が提供している自転車貸出システム「ヴェリブ」のサービスが始まって4周年を迎える。ヴェリブはサービス開始以来1億人以上の人が利用し、絶大な人気を集めている。また利用システムの手軽さも人気の1つと言えるだろう。最短で1日から利用でき、その間は何度でも乗り降りができる。または1年単位での登録制度もあり、1年利用の登録者数は実に全利用者数の76%を占め、年1回の更新でその間は自由に何度も利用できるのだ。より快適に、よりシンプルに、そしてより安くすることで、ヴェリブの利用者を増やし続けている。そして利用者数の増加によって、2020年までに25%の温室ガス削減が見込まれている。
1975年以降、シャンゼリゼ通りはツールの長旅の到着地として戦いを終えようとする選手たちを迎えてきた。そして現在ではこのシャンゼリゼは、世界のスプリンターたちの憧れの地でもある。長く険しい過酷な山岳を乗り越え、なんとか掴んだポイント賞ジャージも、このパリ・シャンゼリゼを終えてみなければわからない。奪ジャージ取を狙うスプリンターたちが、集団の中で息を潜めているからだ。山岳賞ジャージや新人賞、そしてマイヨ・ジョーヌはほぼ確定視される中で、最後のジャージ、ポイント賞争いが繰り広げられる。
第20ステージ グルノーブル(個人タイムトライアル) 42.5km
2011.07.24

グルノーブル
【GRENOBLE】
アルプスの中心部に位置し豊かな山に囲まれているグルノーブルは、その恵まれた自然から多くのアウトドアスポーツ愛好家に愛されている。また、ガイドブックの基本構造を発案したことでも知られる小説家スタンダールの生まれ故郷でもあるこの街を歩けば、「グルノーブルの道の終わりには必ず山がある」と表現した彼の言葉を、実際に体験することができるだろう。さらにグルノーブルでは多種多様な伝統が今も色濃く息づいており、大自然と建築物のコントラストが多くの人を魅了する。ガロ・ローマ時代から現在に至るまで続く住居環境の中で今も人が住み続け、細い道が敷かれたその美しい街並みに多くの人が魅せられて止まない。そして一年を通して開催されている数多くの学生主催のイベントでも街は賑わいをみせている。またグルノーブル美術館やMC2文化センター、国立現代アートセンター「ル・マガザン」などが、この街の彩度を高めていると言えるだろう。そしてバスティーユまで伸びたケーブルカーに乗車して山を登れば、壮大に広がるアルプスの絶景が、訪れた人を静かに歓迎してくれることだろう。そして訪れた者、誰もが口にするだろう。「生涯に一度でも、この街を訪れるべきだ」と。
この街とツールの歴史は深く、初めてツール一行がこの街を訪れたのは1905年のことだった。そして1919年、ツールの歴史において重要な意味を持つセレモニーがこの街で開催された。第11ステージのスタート時、総合優勝者を集団内で見分けることができるよう作成された「マイヨ・ジョーヌ」に、ウジェーヌ・クリストフが史上初めて袖を通したのだ。これは自転車レース界における革新と言える。こうして生まれた総合リーダージャージは、レース主催者であるスポーツ新聞「ロト」が総合トップ選手に贈り、その後267名の選手が名誉あるマイヨ・ジョーヌを身に纏った。

グルノーブル
【GRENOBLE】
文化や自然に恵まれたグノーブルでは、スポーツを楽しむ場所としても人々の人気を集めている。130もの施設は年間230万人もの人々が利用し、さらに年間2000以上ものイベントが開催されている。そこに組み込まれる予算は1300万ユーロにも及び、1995年以降、老若男女問わず全ての人がスポーツを楽しめる街へと進化した。スポーツ用具への投資をはじめ、スポーツ新事業やクラブへのサポートまたは発展促進が人々の団結を促す核となり、結果として個々の健康を高めている。スポーツをする人がただ「スポーツをする」というような受け身の体制でいるだけでなく、自身で実際にそういったサポート活動をしているのだ。教わる側や教える側、チームもしくは個人、またはプロかアマなどあらゆる立場の垣根を越えて、グルノーブルではスポーツをする「すべての人」がスポーツに打ち込める環境を自らつくりだし、改善し続けているのだ。
パリ・シャンゼリゼを翌日に控えた第20ステージは、42.5kmの個人タイムトライアル。2箇所の軽い起伏が登場するだけの、T.T.スペシャリスト向けのコースだ。1919年に初めてマイヨ・ジョーヌが採用された記念すべき場所、グルノーブルで、最後の総合優勝争いが繰り広げられる…。

【GRENOBLE】
アルプスの中心部に位置し豊かな山に囲まれているグルノーブルは、その恵まれた自然から多くのアウトドアスポーツ愛好家に愛されている。また、ガイドブックの基本構造を発案したことでも知られる小説家スタンダールの生まれ故郷でもあるこの街を歩けば、「グルノーブルの道の終わりには必ず山がある」と表現した彼の言葉を、実際に体験することができるだろう。さらにグルノーブルでは多種多様な伝統が今も色濃く息づいており、大自然と建築物のコントラストが多くの人を魅了する。ガロ・ローマ時代から現在に至るまで続く住居環境の中で今も人が住み続け、細い道が敷かれたその美しい街並みに多くの人が魅せられて止まない。そして一年を通して開催されている数多くの学生主催のイベントでも街は賑わいをみせている。またグルノーブル美術館やMC2文化センター、国立現代アートセンター「ル・マガザン」などが、この街の彩度を高めていると言えるだろう。そしてバスティーユまで伸びたケーブルカーに乗車して山を登れば、壮大に広がるアルプスの絶景が、訪れた人を静かに歓迎してくれることだろう。そして訪れた者、誰もが口にするだろう。「生涯に一度でも、この街を訪れるべきだ」と。
この街とツールの歴史は深く、初めてツール一行がこの街を訪れたのは1905年のことだった。そして1919年、ツールの歴史において重要な意味を持つセレモニーがこの街で開催された。第11ステージのスタート時、総合優勝者を集団内で見分けることができるよう作成された「マイヨ・ジョーヌ」に、ウジェーヌ・クリストフが史上初めて袖を通したのだ。これは自転車レース界における革新と言える。こうして生まれた総合リーダージャージは、レース主催者であるスポーツ新聞「ロト」が総合トップ選手に贈り、その後267名の選手が名誉あるマイヨ・ジョーヌを身に纏った。

【GRENOBLE】
文化や自然に恵まれたグノーブルでは、スポーツを楽しむ場所としても人々の人気を集めている。130もの施設は年間230万人もの人々が利用し、さらに年間2000以上ものイベントが開催されている。そこに組み込まれる予算は1300万ユーロにも及び、1995年以降、老若男女問わず全ての人がスポーツを楽しめる街へと進化した。スポーツ用具への投資をはじめ、スポーツ新事業やクラブへのサポートまたは発展促進が人々の団結を促す核となり、結果として個々の健康を高めている。スポーツをする人がただ「スポーツをする」というような受け身の体制でいるだけでなく、自身で実際にそういったサポート活動をしているのだ。教わる側や教える側、チームもしくは個人、またはプロかアマなどあらゆる立場の垣根を越えて、グルノーブルではスポーツをする「すべての人」がスポーツに打ち込める環境を自らつくりだし、改善し続けているのだ。
第19ステージ モダーヌ~ラルプ・デュエズ 109.5km
2011.07.23

モダンヌ
【MODANE VALFRÉJUS】
標高1000mのモダンヌは、オート・モリエンヌ とオート・アルプの間にあり、サヴォワ県とイタリアの玄関としても知られる。1992年に国境での規制が緩和されたことにより、観光事業を主要経済とする一方、地下の研究室で行われている素粒子物理学の研究や、2020年に完了予定のリヨンとトリノを結ぶ鉄道プロジェクトも現在進めている。またヴァノワーズ国立公園の中心部にあるモダンヌは、パリからはTGVで4時間、もしくは高速道路A43号からもアクセスが可能だ。その上モダンヌは、数々の歴史を感じとれる地域でもある。たとえばこの場所に建つ軍事要塞は、サボアとの合併によってイタリアの領土になり、その後1860年にフランスの領土になった歴史を物語っている。他にも15世紀のシャルメー教会が山腹でその姿を現している。さらに恵まれた自然に囲まれたこのあたりは、自然環境保護地区でもある。その中に地を構えているヴァルフレジュの中心部には、スキーリゾート地があり、そこでは新しいタイプのスポーツ「スクォール」(スキーとスノーボードの中間的なスポーツ)や、パラグライディングなども楽しめるのだ。さらに、世界最大規模を誇るサイクリングエリアの中心部でもある。年間300日も及ぶ日数が晴天に恵まれ、まさにここはマウンテンスポーツをするには最適な場所と言える。
また、このモダンヌの地理的条件が歴史に大きく影響を及ぼしている。とりわけフレジュス・トンネルの施工が行われてから特にその影響力は増し、まさにフランスとイタリア間の貿易の中心地なのだ。そんなモダンヌにツール一行が訪れるのは初めてのこととなる。しかしモダンヌが属するサヴォワ県では、ツールとの歴史は深く、1947年以降、県内では19番目に開催を迎える都市となる。

ラルプ・デュエズ
【ALPE d’HUEZ】
「太陽の島」と言われているラルプ・デュエズでは、夏と冬に観光客で賑わいをみせている。イゼール県オワザン山地の中心部にあるこの街は、県庁所在地であるグルノーブルから1時間、またローヌ県の県庁所在地であるリヨンから2時間、そしてスイス西部のジュネーブから2時間半のところに位置し、立地条件にも恵まれている。標高1860mの高さに位置し、南向きの大地が広がるこの場所は年間平均300日の晴天にも恵まれ、まさに「太陽の島」という愛称がこの街の全てを語っていると言えるだろう。標高3300mを誇るピック・ブランから望むパノラマビューは、息を飲むほど壮大で美しい。モンブランやモン・ヴァントゥといった中央高地などフランス領土の5分の1を見渡せる景観に加え、スイスやイタリアの大地が眼前に広がるのだ。さらに1万ヘクタールにも及ぶ土地では、数多くのアウトドアスポーツも楽しめることができる。ハイキングや乗馬、マウンテンバイク、パラグライディングなど、観光客を魅了してやまない。夏の期間中、ここではシクロスポルティフやMTBレースなど数多くのサイクリング・イベントが開催されている。その例として、ラ・マーモットやメガアバランチェ、エタップ・ド・ツールが挙げられる。これらはただのサイクリング・イベントではない。エタップ・ド・ツールに加えラ・マーモットは市民参加型のロードレースで、またメガアバランチェは空撮ヘリも飛ぶMTBのダウンヒルレースなのだ。そこからも、このラルプ・デュエズが数多くのサイクリストやそのファンたちから愛されていることが伺えるだろう。また、トライアスロンやオートバイのレースであるスーパーモータードフランス選手権もこのラルプ・デュエズで開催されているのだ。このラルプ・デュエズに走る21箇所ものヘアピンカーブはツール・ド・フランスではお馴染みのコースでもあり、最も親しまれている峠であると言えるだろう。
ラルプ・デュエズとツールとの歴史は、とても深い。1952年に優勝を果たした自転車界の伝説的英雄ファウスト・コッピをはじめ、2008年には21のヘアピンカーブを巧みにこなし優勝に輝いたカルロス・サストレなど、この地で優勝に輝いた計6名の選手がツール総合優勝を飾っているのだ。そして今年のこの上りコースは1984年に設定されたコースと同じで、そこを選手が通過すれば、当時繰り広げられたベルナール・イノーとローラン・フィニョンの熱い戦いが観衆の脳裏にフラッシュバックすることだろう。同じく山頂ゴールであった当時のコースで、頭脳明晰なフランスチャンピオンのフィニョンは、コロンビア人選手のルイス・エレラに49秒のリードを奪われていたものの、完璧な戦術によりマイヨ・ジョーヌを奪取し、自身の輝かしい歴史の1ページを記録することとなった。
アルプス山脈最終日となる第19ステージ。総合優勝がこの日に決定する可能性が高い中、マイヨ・ジョーヌを巡る主力選手たちが繰り広げる熾烈な闘いに、観衆の興奮は絶頂を迎えることだろう。ここまで頑なにマイヨ・ジョーヌを守り抜いてきたトマ・ヴォクレール。一方、確実にタイム差を縮めてきているアンディ・シュレク。マイヨ・ジョーヌの行方は如何に…。

【MODANE VALFRÉJUS】
標高1000mのモダンヌは、オート・モリエンヌ とオート・アルプの間にあり、サヴォワ県とイタリアの玄関としても知られる。1992年に国境での規制が緩和されたことにより、観光事業を主要経済とする一方、地下の研究室で行われている素粒子物理学の研究や、2020年に完了予定のリヨンとトリノを結ぶ鉄道プロジェクトも現在進めている。またヴァノワーズ国立公園の中心部にあるモダンヌは、パリからはTGVで4時間、もしくは高速道路A43号からもアクセスが可能だ。その上モダンヌは、数々の歴史を感じとれる地域でもある。たとえばこの場所に建つ軍事要塞は、サボアとの合併によってイタリアの領土になり、その後1860年にフランスの領土になった歴史を物語っている。他にも15世紀のシャルメー教会が山腹でその姿を現している。さらに恵まれた自然に囲まれたこのあたりは、自然環境保護地区でもある。その中に地を構えているヴァルフレジュの中心部には、スキーリゾート地があり、そこでは新しいタイプのスポーツ「スクォール」(スキーとスノーボードの中間的なスポーツ)や、パラグライディングなども楽しめるのだ。さらに、世界最大規模を誇るサイクリングエリアの中心部でもある。年間300日も及ぶ日数が晴天に恵まれ、まさにここはマウンテンスポーツをするには最適な場所と言える。
また、このモダンヌの地理的条件が歴史に大きく影響を及ぼしている。とりわけフレジュス・トンネルの施工が行われてから特にその影響力は増し、まさにフランスとイタリア間の貿易の中心地なのだ。そんなモダンヌにツール一行が訪れるのは初めてのこととなる。しかしモダンヌが属するサヴォワ県では、ツールとの歴史は深く、1947年以降、県内では19番目に開催を迎える都市となる。

【ALPE d’HUEZ】
「太陽の島」と言われているラルプ・デュエズでは、夏と冬に観光客で賑わいをみせている。イゼール県オワザン山地の中心部にあるこの街は、県庁所在地であるグルノーブルから1時間、またローヌ県の県庁所在地であるリヨンから2時間、そしてスイス西部のジュネーブから2時間半のところに位置し、立地条件にも恵まれている。標高1860mの高さに位置し、南向きの大地が広がるこの場所は年間平均300日の晴天にも恵まれ、まさに「太陽の島」という愛称がこの街の全てを語っていると言えるだろう。標高3300mを誇るピック・ブランから望むパノラマビューは、息を飲むほど壮大で美しい。モンブランやモン・ヴァントゥといった中央高地などフランス領土の5分の1を見渡せる景観に加え、スイスやイタリアの大地が眼前に広がるのだ。さらに1万ヘクタールにも及ぶ土地では、数多くのアウトドアスポーツも楽しめることができる。ハイキングや乗馬、マウンテンバイク、パラグライディングなど、観光客を魅了してやまない。夏の期間中、ここではシクロスポルティフやMTBレースなど数多くのサイクリング・イベントが開催されている。その例として、ラ・マーモットやメガアバランチェ、エタップ・ド・ツールが挙げられる。これらはただのサイクリング・イベントではない。エタップ・ド・ツールに加えラ・マーモットは市民参加型のロードレースで、またメガアバランチェは空撮ヘリも飛ぶMTBのダウンヒルレースなのだ。そこからも、このラルプ・デュエズが数多くのサイクリストやそのファンたちから愛されていることが伺えるだろう。また、トライアスロンやオートバイのレースであるスーパーモータードフランス選手権もこのラルプ・デュエズで開催されているのだ。このラルプ・デュエズに走る21箇所ものヘアピンカーブはツール・ド・フランスではお馴染みのコースでもあり、最も親しまれている峠であると言えるだろう。
ラルプ・デュエズとツールとの歴史は、とても深い。1952年に優勝を果たした自転車界の伝説的英雄ファウスト・コッピをはじめ、2008年には21のヘアピンカーブを巧みにこなし優勝に輝いたカルロス・サストレなど、この地で優勝に輝いた計6名の選手がツール総合優勝を飾っているのだ。そして今年のこの上りコースは1984年に設定されたコースと同じで、そこを選手が通過すれば、当時繰り広げられたベルナール・イノーとローラン・フィニョンの熱い戦いが観衆の脳裏にフラッシュバックすることだろう。同じく山頂ゴールであった当時のコースで、頭脳明晰なフランスチャンピオンのフィニョンは、コロンビア人選手のルイス・エレラに49秒のリードを奪われていたものの、完璧な戦術によりマイヨ・ジョーヌを奪取し、自身の輝かしい歴史の1ページを記録することとなった。
第18ステージ ピネローロ〜ガリビエ峠 200.5km
2011.07.22

ピネローロ
【PINERORO】
1949年にグランツールの1つでもあるジロ・デ・イタリアがこの街を初めて訪れて以降、ピネローロは4度にわたりステージ到着地として舞台に選ばれてきた。そして見事、その全てのステージで、イタリア人選手がこのイタリアの地で勝利に輝いてきた。また1993年には、セストリエールを到着地とする個人タイムトライアルのスタート地点としても選ばれた。スペイン人選手ミゲル・インドゥラインは、総合1位のマリア・ローザを着て1位でゴールを駆け抜け、貫禄のジロを2連覇した。そしてその数週間後、インドゥラインはツール・ド・フランスで3連覇に輝いたのだった。それ故にこの街は、「連覇」にとても縁がある街とも言えるだろう。

ガリビエ峠
【GALIBIER – SERRE CHEVALIER】
ガリビエ峠は、オート・アルプ県とサヴォワ県にまたがっており、夏にはセレ・シャバリエ渓谷の頂上からブリアンソン郡の街へ行くことができる。セレ・シャバリエ渓谷はエクラン国立公園の一角に位置し、その山頂は地中海に広がる空の下でカラマツの森に囲まれ、常に雪で覆われている。またこの渓谷では、この大自然の中でスポーツを楽しむことができるよう十分な設備も整っている。300kmのコースが示されたハイキングコースの道案内看板が点々と置かれており、さらにロッククライミング、急流での川下り、カヤックなど、山と一体化したスポーツを楽しむことができるのだ。また、サイクリストにとっても快適な環境が整っていると言えるだろう。数多くの自転車道が敷かれ、さらにカリビエ峠の頂上は、SCLA (セール・シェ・ルック・アルファン)というシクロスポルティフ(オープン参加型のロードレース)のゴール地点にもなっているのだ。このレース名は、このあたりに住む、前スキーチャンピオンのリュック・アルファンの名前から命名された。またル・モネイエ・レ・バンにある温泉は、胃腸やリウマチなどに効果があると言われている。そして冬にはヨーロッパ最大のスキーリゾートの1つに数えられる、250kmにも伸びたゲレンデが姿を現すのだ。
1905年から数回にわたってバイヤール峠を越えていたのにも関わらず、1991年になっても未だ選手たちはアルプスにそこまで慣れ親しんでいなかった。1990年に訪れたピレネー山脈の過酷さが色濃く選手たちの記憶に残っていたからだろう。やがてツール一行が初めてこのガリビエ峠を訪れた際は、北部から登っていくルートが設定され、さらに過酷を極めた。それもそのはず、標高2556mのところまで登らなければいけなかったのだ。1970年代にトンネルの上に道路が施工されて以来コース最高地点は標高2645mにまで達し、標高2413mのグラノン峠を超えるという、ツール始まって以来の標高を誇る山頂ゴールとなった。
アルプス山脈2日目を迎えた第18ステージ。ピネローロからガリビエ峠を目指す200.5kmの長旅には、道中、3箇所にも及ぶ超級山岳ポイントが選手たちの前に立ちはだかる。山頂ゴールとなるこのステージでは、山頂の標高が2645mと、ツール史上最高を誇る。また、最初に迎えることとなるアニェル峠はその遥か上、2774mもの巨大な壁が選手たちに牙を向くことだろう。マイヨ・ジョーヌを巡り、いよいよ本格的に動き出すレースに、興奮はおさまらない。

【PINERORO】
1949年にグランツールの1つでもあるジロ・デ・イタリアがこの街を初めて訪れて以降、ピネローロは4度にわたりステージ到着地として舞台に選ばれてきた。そして見事、その全てのステージで、イタリア人選手がこのイタリアの地で勝利に輝いてきた。また1993年には、セストリエールを到着地とする個人タイムトライアルのスタート地点としても選ばれた。スペイン人選手ミゲル・インドゥラインは、総合1位のマリア・ローザを着て1位でゴールを駆け抜け、貫禄のジロを2連覇した。そしてその数週間後、インドゥラインはツール・ド・フランスで3連覇に輝いたのだった。それ故にこの街は、「連覇」にとても縁がある街とも言えるだろう。

【GALIBIER – SERRE CHEVALIER】
ガリビエ峠は、オート・アルプ県とサヴォワ県にまたがっており、夏にはセレ・シャバリエ渓谷の頂上からブリアンソン郡の街へ行くことができる。セレ・シャバリエ渓谷はエクラン国立公園の一角に位置し、その山頂は地中海に広がる空の下でカラマツの森に囲まれ、常に雪で覆われている。またこの渓谷では、この大自然の中でスポーツを楽しむことができるよう十分な設備も整っている。300kmのコースが示されたハイキングコースの道案内看板が点々と置かれており、さらにロッククライミング、急流での川下り、カヤックなど、山と一体化したスポーツを楽しむことができるのだ。また、サイクリストにとっても快適な環境が整っていると言えるだろう。数多くの自転車道が敷かれ、さらにカリビエ峠の頂上は、SCLA (セール・シェ・ルック・アルファン)というシクロスポルティフ(オープン参加型のロードレース)のゴール地点にもなっているのだ。このレース名は、このあたりに住む、前スキーチャンピオンのリュック・アルファンの名前から命名された。またル・モネイエ・レ・バンにある温泉は、胃腸やリウマチなどに効果があると言われている。そして冬にはヨーロッパ最大のスキーリゾートの1つに数えられる、250kmにも伸びたゲレンデが姿を現すのだ。
1905年から数回にわたってバイヤール峠を越えていたのにも関わらず、1991年になっても未だ選手たちはアルプスにそこまで慣れ親しんでいなかった。1990年に訪れたピレネー山脈の過酷さが色濃く選手たちの記憶に残っていたからだろう。やがてツール一行が初めてこのガリビエ峠を訪れた際は、北部から登っていくルートが設定され、さらに過酷を極めた。それもそのはず、標高2556mのところまで登らなければいけなかったのだ。1970年代にトンネルの上に道路が施工されて以来コース最高地点は標高2645mにまで達し、標高2413mのグラノン峠を超えるという、ツール始まって以来の標高を誇る山頂ゴールとなった。
第17ステージ ガップ~ピネローロ 179km
2011.07.21

ギャップ
【GAP】
ステージ終着地であるピネローロとギャップが姉妹都市提携を結んで40年。そして今回、ステージの出発地と到着地にそれぞれが選ばれたことは、お互いの都市関係をさらに深めるにあたってこの上ない機会に恵まれたと言えるだろう。選手たちはスタートを切ったそのときから、レースで最も神秘的な登りを持つオート・アルプの最北地域を通過する。ツールに愛されたアルプス山脈の雄大な登りは、ツールが開催されれば必ずと言っていいほどその雄姿を現している。この2つの親密性から、この山脈は多くのサイクリストたちにとっての聖地と言えるかもしれない。このことから、サイクリストの要望を考慮に入れた都市計画を担っているオート・アルプでは、他のどの地域や県よりも自転車競技に力を入れていると言えるだろう。例えば観光委員会は、サイクリング浸透のために20もの指標付き道路を舗装した。その上夏には、自転車専用道路でサイクリストたちが憧れるアルプス山脈の登りに挑戦できる。その道中では、いくつもの絶景が道行くサイクリストたちを待ち構えている。セール・ポンソン湖の景観やヨーロッパ最大規模を誇る貯水場の景色、崖の上に築かれた街アンブランの遠景、そして世界遺産に登録されているヴォーバンの要塞群の美観が、視界全体に拡がるのだ。
ツール・ド・フランスの女子レース版とも言われるグランド・ブークルのレースでは、20回ほどこの街を訪れている。またツール・ド・フランスにおいても、数多くの選手が勝利に輝くのをガップは見届けてきた。ラファエル・ジェミニアーニやガストネ・ネンチーニ、ジャンフランソワ・ベルナール、エリック・ツァベル、アレクサンドル・ヴィノクロフ、そしてピエリック・フェドリゴらのその雄姿を勝利に輝かせてきたのだ。またオート・アルプ県の県庁所在地でもあるギャップは、ルイゾン・ボベやファウスト・コッピ、そしてフェデリコ・バーモンテスらが連覇を飾った、ブリアンソンへと向かう今や伝説のステージの出発地でもあった。それからというもの、ツールのコースではガップからスタートし、ラルプ・デュエズ峠でステージを終えるというのがコース設定の定番となった。1991年にはジャンニ・ブーニョが優勝し、2006年にはシュレク兄弟の兄、フランクが優勝に輝いている。

ピネローロ
【PINEROLO】
今大会で唯一のフランス国外開催地として、イタリアのピネローロが選ばれた。イタリアのトリノ県南西40km周辺に位置するピネローロは、まだこの街がイタリア領土になる前は時を異にしてフランスやサボアの領土であった。この街が属する国がはっきりと確定されていなかった歴史があることから、この街はイタリア語でピネローロ、フランス語でピネロロなど、ピエモンテ語やオクシタン語に至るまで様々な名前で呼ばれていた。またサッカーのクラブチームで認知度の高いウルグアイの首都モンテビデオの近隣のペニャロールという街も、ピネローロから派生した地名でもある。また、ルイ14世の大蔵卿であったニコラ・フーケが鉄仮面で顔を覆われ監獄収容されていた要塞があることでも、この街の名は広く知られている。1669年から12年もの間、密かに収容された囚人フーケはとても謎が多く、伝説としても語り継がれている。その代表作が、La Maschera di Ferro(仮面の男)だ。1999年からピネローロでは毎年10月に歴史復興活動の一貫として「仮面の男」を上演し、前年は7万人もの観客を動員した。
この街を深く包む山と谷のように、深い歴史を持つピネローロは新しい風を求めている。フランスのソミュール郡にあるフランス国立馬術学校に倣い、イタリア騎兵隊の発祥地としてその伝統を今も継承している。また2006年トリノ冬季オリンピックでは、オリンピック開催地としてカーリングを開催した。さらには、数々の美術館や博物館がこの街を彩っている。この街に建つサン・ドナート大聖堂やサン・マウリーツィオ聖堂はこの街の歴史を色濃く映し出している。またピネローロの古い町並みには、絵に描いたような美しさを持つ中世の道が今もその姿を残し、訪れた者の心を掴んで止まない。さらにこの街では、一年を通して文化的イベントも数多く開催されており、仮面の男の舞台や国際馬術競技大会などが開催され、常にこの街は賑わいを見せているのだ。
ツール一行がこのピネローロを訪れるのは、今回が初めてのこととなる。しかしながら、1949年には、グランツールの1つでもあるジロ・デ・イタリアのクーネオからピネローロ間のステージを開催した。このことは今でも輝かしいこの街の歴史として、人々の記憶に残っている。当時、コリエーレ・デラ・セラ新聞の特派員のディーノ・ブッツァーティは、ライバル関係にあったファウスト・コッピとジーノ・バルタリの争いについて『マッダレーナ峠を越えるだけでも過酷を極めていただろうにも関わらず、それはただの序章にしか過ぎなかった』と記していた。レース当日、年下のコッピはバルタリに致命的な打撃を与え、新聞には『今日のレースでバルタリは、自身の栄華も終わりに近いと悟ったことだろう。そして彼は初めて笑顔を見せた』と書かれていた。
いよいよアルプス山脈越えの初日を迎えた第17ステージは、ガップからピネローロまで争われる179km。今大会唯一のフランス国外、イタリアでのゴールとなる。徐々に息を吹き返してきたコンタドールには、有力選手らが執拗にマーク。一方、今まで順調にマイヨ・ジョーヌを守り抜いてきたヴォクレールは、そのプレッシャーからか、痛恨のミスをおかしてしまうことに。ハイスピードで繰り広げられた熾烈な戦いの中、冷静にレースを読み、見事ステージを制したのは…。

【GAP】
ステージ終着地であるピネローロとギャップが姉妹都市提携を結んで40年。そして今回、ステージの出発地と到着地にそれぞれが選ばれたことは、お互いの都市関係をさらに深めるにあたってこの上ない機会に恵まれたと言えるだろう。選手たちはスタートを切ったそのときから、レースで最も神秘的な登りを持つオート・アルプの最北地域を通過する。ツールに愛されたアルプス山脈の雄大な登りは、ツールが開催されれば必ずと言っていいほどその雄姿を現している。この2つの親密性から、この山脈は多くのサイクリストたちにとっての聖地と言えるかもしれない。このことから、サイクリストの要望を考慮に入れた都市計画を担っているオート・アルプでは、他のどの地域や県よりも自転車競技に力を入れていると言えるだろう。例えば観光委員会は、サイクリング浸透のために20もの指標付き道路を舗装した。その上夏には、自転車専用道路でサイクリストたちが憧れるアルプス山脈の登りに挑戦できる。その道中では、いくつもの絶景が道行くサイクリストたちを待ち構えている。セール・ポンソン湖の景観やヨーロッパ最大規模を誇る貯水場の景色、崖の上に築かれた街アンブランの遠景、そして世界遺産に登録されているヴォーバンの要塞群の美観が、視界全体に拡がるのだ。
ツール・ド・フランスの女子レース版とも言われるグランド・ブークルのレースでは、20回ほどこの街を訪れている。またツール・ド・フランスにおいても、数多くの選手が勝利に輝くのをガップは見届けてきた。ラファエル・ジェミニアーニやガストネ・ネンチーニ、ジャンフランソワ・ベルナール、エリック・ツァベル、アレクサンドル・ヴィノクロフ、そしてピエリック・フェドリゴらのその雄姿を勝利に輝かせてきたのだ。またオート・アルプ県の県庁所在地でもあるギャップは、ルイゾン・ボベやファウスト・コッピ、そしてフェデリコ・バーモンテスらが連覇を飾った、ブリアンソンへと向かう今や伝説のステージの出発地でもあった。それからというもの、ツールのコースではガップからスタートし、ラルプ・デュエズ峠でステージを終えるというのがコース設定の定番となった。1991年にはジャンニ・ブーニョが優勝し、2006年にはシュレク兄弟の兄、フランクが優勝に輝いている。

【PINEROLO】
今大会で唯一のフランス国外開催地として、イタリアのピネローロが選ばれた。イタリアのトリノ県南西40km周辺に位置するピネローロは、まだこの街がイタリア領土になる前は時を異にしてフランスやサボアの領土であった。この街が属する国がはっきりと確定されていなかった歴史があることから、この街はイタリア語でピネローロ、フランス語でピネロロなど、ピエモンテ語やオクシタン語に至るまで様々な名前で呼ばれていた。またサッカーのクラブチームで認知度の高いウルグアイの首都モンテビデオの近隣のペニャロールという街も、ピネローロから派生した地名でもある。また、ルイ14世の大蔵卿であったニコラ・フーケが鉄仮面で顔を覆われ監獄収容されていた要塞があることでも、この街の名は広く知られている。1669年から12年もの間、密かに収容された囚人フーケはとても謎が多く、伝説としても語り継がれている。その代表作が、La Maschera di Ferro(仮面の男)だ。1999年からピネローロでは毎年10月に歴史復興活動の一貫として「仮面の男」を上演し、前年は7万人もの観客を動員した。
この街を深く包む山と谷のように、深い歴史を持つピネローロは新しい風を求めている。フランスのソミュール郡にあるフランス国立馬術学校に倣い、イタリア騎兵隊の発祥地としてその伝統を今も継承している。また2006年トリノ冬季オリンピックでは、オリンピック開催地としてカーリングを開催した。さらには、数々の美術館や博物館がこの街を彩っている。この街に建つサン・ドナート大聖堂やサン・マウリーツィオ聖堂はこの街の歴史を色濃く映し出している。またピネローロの古い町並みには、絵に描いたような美しさを持つ中世の道が今もその姿を残し、訪れた者の心を掴んで止まない。さらにこの街では、一年を通して文化的イベントも数多く開催されており、仮面の男の舞台や国際馬術競技大会などが開催され、常にこの街は賑わいを見せているのだ。
ツール一行がこのピネローロを訪れるのは、今回が初めてのこととなる。しかしながら、1949年には、グランツールの1つでもあるジロ・デ・イタリアのクーネオからピネローロ間のステージを開催した。このことは今でも輝かしいこの街の歴史として、人々の記憶に残っている。当時、コリエーレ・デラ・セラ新聞の特派員のディーノ・ブッツァーティは、ライバル関係にあったファウスト・コッピとジーノ・バルタリの争いについて『マッダレーナ峠を越えるだけでも過酷を極めていただろうにも関わらず、それはただの序章にしか過ぎなかった』と記していた。レース当日、年下のコッピはバルタリに致命的な打撃を与え、新聞には『今日のレースでバルタリは、自身の栄華も終わりに近いと悟ったことだろう。そして彼は初めて笑顔を見せた』と書かれていた。
第16ステージ サンポール・トロワ・シャトー〜ギャップ 162.5 km
2011.07.20

サンポール・トロワ・シャトー
【SAINT-PAUL-TROIS-CHATEAUX】
この小さな街を1度訪れれば、その記憶はいつまでも鮮明に色づいて残ることだろう。やさしく風になびくワイン園の木々や、空へと伸びるトリュフの木々、そしてラベンダー畑がこの街をやさしく彩っている。こういった鮮やかな自然は、人間が造り出した文化財と共に、この街でゆっくりと時を刻んでいる。数百年以上も昔に建設された数々の遺跡からは、中世の香りが感じ取れることだろう。例を挙げるならば、ローマ建築の中世の大聖堂だろう。この大聖堂はこの小さな街のシンボルでもあり、街の中心部にその姿を華やかに映し出している。他にも城の姿をした大邸宅や店の外に席を並べたカフェ、そして絵本に出てくるような小さな噴水などがこの街には散りばめられている。また目を楽しませてくれるだけではなく、多くの美食家たちがこの街を訪れている。それもその筈、この街は絶品のトリュフが採れる街としてその名を広く知られており、実にフランス国内におけるトリュフの60%はこの街から出荷されている。それだけではない。フランスの厳しいワイン規格として有名なAOC規格に認定された地元ワイン、グリニャン・レ・ザデマールも、多くの美食家たちの心を掴んで離さない。また、子ども用のブック・フェスティバルやソウルジャズ・フェスティバル、クラシック音楽祭も開催され、自然が融合された芸術の街と言えるだろう。
ツール一行がこの街を訪れるのは、今回が初めてのこととなる。しかし2009年、この街は「パリ〜ニース」レースの出発地として舞台に選ばれたことから、自転車レースファンはこの街の名を耳にしたことがあるかもしれない。第6ステージでこの街を出発した選手たちは、山岳地帯であるモンターニュ・ド・リュールへと、レースの旅に出た。そこでアルベルト・コンタドールがフィニッシュでの登りで目を見張る走りを披露し、観衆を沸かせた。コンタドールは見事ステージ優勝を飾り、さらに総合順位もトップに躍り出たのだった。この街はコンタドールにとって輝かしい思い出が色づく舞台となったのだ。しかし翌日の第7ステージでハンガーノックを起こし、残念ながら総合1位の座をルイスレオン・サンチェスに受け渡してしまうこととなった。このあまりにも早い後退は、後にコンタドールのもろさとして語られるきっかけとなった。

ギャップ
【GAP】
南アルプスの主要都市でもあるこの街は、その恵まれた立地条件から多大な自然の恵みを受けている。プロヴァンスとアルプスの透明な澄んだ空気が、十分すぎるほどにこの街を包み込んでいるのだ。さらにこの街の息を飲むほどの美しい景観は、訪れた者の心を射止めて止まない。またサイクリストたちに愛されて止まない街でもある。この街の登り坂を、サイクリストなら誰でも一度は試してみたいと思い描いたことがあるだろう。何百キロも続くハイキングコースとマウンテンバイクのコースがこの街を取り囲み、他にも多くのスポーツ愛好家からも愛されている。このあたりには航空スポーツにとって理想的な風が吹き、すぐ近郊にガップ・タリアール飛行場が構えていることから、航空スポーツ愛好家にとって理想的な場所でもある。また登山家の間でもこの街は名は広く知られている。セウズの崖では、他にはない究極のスリルを味わうことができるからだ。さらにガップ・バイヤールのゴルフ場では、標高3000mの高さを誇るヴュー・シャイヨールの絶景を臨みながら、澄んだ山の空気の中でゴルフが楽しめるのだ。また昨年のツールでは、1000人にもの住民が標高2000mのシャランスへ登り、人型の街のロゴを作った。そのあまりの壮大さにヘリで撮影をしていた空撮隊はしっかりとそれを撮影し、世界各国へ放送された。
ツール一行がステージの終着地としてこの街を訪れる度に鮮明な記憶として蘇る、ある出来事がある。2009年の第9ステージ、ゴールまで残り4kmのラ・ロシェットの下りで起きたアクシデントだった。ホセバ・ベロキの後輪タイヤに溶けたタールマックが絡みトラブルを起こし、コントロール不能の自体に陥ってしまう。そして不運にも、ランス・アームストロングの目と鼻の先で落車してしまったのだ。下りで起きた目の前の突然の落車にも、アームストロングはうまく反応し自身の転倒を未然に防ぎ、やがて集団に合流したのだった。アームストロングの類まれな抜群の運動神経により大事故を防ぎ、自身5度目となるツール・ド・フランス総合優勝の快挙を成し遂げたのだ。
休息日を終えた第16ステージは、サンポール・トロワ・シャトーからギャップへと駆け抜ける162.5 km。残すステージは、アルプス山脈越えと個人タイムトライアル、そして最終日、パリ・シャンゼリゼのみ。アルプスの山々を目の前に、今まで息を潜めてきたコンタドールが、いよいよ動き出す…。運命のアルプス山脈越えを目の前に控え、競合を演じる選手たちの動きに注目が集まる。

【SAINT-PAUL-TROIS-CHATEAUX】
この小さな街を1度訪れれば、その記憶はいつまでも鮮明に色づいて残ることだろう。やさしく風になびくワイン園の木々や、空へと伸びるトリュフの木々、そしてラベンダー畑がこの街をやさしく彩っている。こういった鮮やかな自然は、人間が造り出した文化財と共に、この街でゆっくりと時を刻んでいる。数百年以上も昔に建設された数々の遺跡からは、中世の香りが感じ取れることだろう。例を挙げるならば、ローマ建築の中世の大聖堂だろう。この大聖堂はこの小さな街のシンボルでもあり、街の中心部にその姿を華やかに映し出している。他にも城の姿をした大邸宅や店の外に席を並べたカフェ、そして絵本に出てくるような小さな噴水などがこの街には散りばめられている。また目を楽しませてくれるだけではなく、多くの美食家たちがこの街を訪れている。それもその筈、この街は絶品のトリュフが採れる街としてその名を広く知られており、実にフランス国内におけるトリュフの60%はこの街から出荷されている。それだけではない。フランスの厳しいワイン規格として有名なAOC規格に認定された地元ワイン、グリニャン・レ・ザデマールも、多くの美食家たちの心を掴んで離さない。また、子ども用のブック・フェスティバルやソウルジャズ・フェスティバル、クラシック音楽祭も開催され、自然が融合された芸術の街と言えるだろう。
ツール一行がこの街を訪れるのは、今回が初めてのこととなる。しかし2009年、この街は「パリ〜ニース」レースの出発地として舞台に選ばれたことから、自転車レースファンはこの街の名を耳にしたことがあるかもしれない。第6ステージでこの街を出発した選手たちは、山岳地帯であるモンターニュ・ド・リュールへと、レースの旅に出た。そこでアルベルト・コンタドールがフィニッシュでの登りで目を見張る走りを披露し、観衆を沸かせた。コンタドールは見事ステージ優勝を飾り、さらに総合順位もトップに躍り出たのだった。この街はコンタドールにとって輝かしい思い出が色づく舞台となったのだ。しかし翌日の第7ステージでハンガーノックを起こし、残念ながら総合1位の座をルイスレオン・サンチェスに受け渡してしまうこととなった。このあまりにも早い後退は、後にコンタドールのもろさとして語られるきっかけとなった。

【GAP】
南アルプスの主要都市でもあるこの街は、その恵まれた立地条件から多大な自然の恵みを受けている。プロヴァンスとアルプスの透明な澄んだ空気が、十分すぎるほどにこの街を包み込んでいるのだ。さらにこの街の息を飲むほどの美しい景観は、訪れた者の心を射止めて止まない。またサイクリストたちに愛されて止まない街でもある。この街の登り坂を、サイクリストなら誰でも一度は試してみたいと思い描いたことがあるだろう。何百キロも続くハイキングコースとマウンテンバイクのコースがこの街を取り囲み、他にも多くのスポーツ愛好家からも愛されている。このあたりには航空スポーツにとって理想的な風が吹き、すぐ近郊にガップ・タリアール飛行場が構えていることから、航空スポーツ愛好家にとって理想的な場所でもある。また登山家の間でもこの街は名は広く知られている。セウズの崖では、他にはない究極のスリルを味わうことができるからだ。さらにガップ・バイヤールのゴルフ場では、標高3000mの高さを誇るヴュー・シャイヨールの絶景を臨みながら、澄んだ山の空気の中でゴルフが楽しめるのだ。また昨年のツールでは、1000人にもの住民が標高2000mのシャランスへ登り、人型の街のロゴを作った。そのあまりの壮大さにヘリで撮影をしていた空撮隊はしっかりとそれを撮影し、世界各国へ放送された。
ツール一行がステージの終着地としてこの街を訪れる度に鮮明な記憶として蘇る、ある出来事がある。2009年の第9ステージ、ゴールまで残り4kmのラ・ロシェットの下りで起きたアクシデントだった。ホセバ・ベロキの後輪タイヤに溶けたタールマックが絡みトラブルを起こし、コントロール不能の自体に陥ってしまう。そして不運にも、ランス・アームストロングの目と鼻の先で落車してしまったのだ。下りで起きた目の前の突然の落車にも、アームストロングはうまく反応し自身の転倒を未然に防ぎ、やがて集団に合流したのだった。アームストロングの類まれな抜群の運動神経により大事故を防ぎ、自身5度目となるツール・ド・フランス総合優勝の快挙を成し遂げたのだ。
第15ステージ リムー~モンペリエ 192.5km
2011.07.18

リムー
【LIMOUX】
リムーは街の中心である教会を拠点に、徐々にリネンや革製品で発展を遂げていった。またスパークリングワインのブランケットで有名なこの街は、フランスの著名シェフらが選り抜いた樽を競売にかけるオークション「トック・エ・クロシェ」やこの街が誇る絶品料理などで訪れた者を楽しませる。ブランケットは1531年に生まれた世界最古のスパークリングワインで、その酒造法は後に言わずと知れた名シャンパン、ドン・ペリニョンの元となった。この街はもちろんのこと、この地域一帯はワイン製造の主要産業として確立し、アン・ド・ジュワイユーズも一流ワインを製造する有名どころのひとつである。また毎年春になると開催されるトック・デ・クロシェのワインオークションは、教会の尖塔を修復する資金を募るために行われ、オークション後にはトップシェフらによる料理が振舞われるなど、訪れた者を楽しませている。またこのオークションの名前でもある「トック」という言葉は、シェフが被る伝統的な白い帽子の名前から由来している。さらに毎年冬にはリムー・フェコと呼ばれるカーニバルが三ヶ月間に渡って開催される。カトリックの枝の主日にあたる日曜日の12週間前から始まるこのカーニバルは、世界一長い期間開催されているのだ。そして料理はと言えば、ビスケットのペブラドゥー、塩漬けされたアーティチョーク、アヒル、鶏肉の蒸し焼き、ブリオッシュにパンケーキ、ヌガーなど、挙げるときりがない。
修道士ドン・ペリニョンがシャンパンの酒造法を見出すきっかけとなったスパークリングワイン、ブランケットでこの街の名は広く世界に知られている。(シャンパンとは、フランスのシャンパーニュ地方で造られたスパークリングワインのことを指し、その他の地域で造られたスパークリングワインはシャンパンとは言わない)この街の歴史上、この街は”一流”という言葉に慣れ親しんできたが、自転車の歴史はまだ浅く、この街がツール一行を出迎えるのは初めてだ。1976年のグランプリ・デュ・ミディ・リブレのステージでこの街がステージ開催地に選ばれたときには、ルシアン・バンインプがベルナード・イノーやレイモン・プリドールに打ち勝ち、見事優勝を果たした。やがてバンインプはツール・ド・フランスの総合優勝に輝いた。一方女子のレースであるツール・ド・オードでも、この街はステージ開催の主要都市の1つでもある。

モンペリエ
【MONTPELLIER】
古フランス語が訛ってモンペリエと呼ばれるようになったこの街の歴史は、数千年にもわたり築かれてきた。カヌールグの地方自治体に属するこの街は、壮大な歴史を感じさせるサンピエトロ大聖堂やペロ王室庭園、そして華麗な大邸宅が街を飾り立て、さらに豊かな自然がこの街の農業を発展させてきた。歴史上の人物であるジャック・クールは、国王シャルル7世の財務大臣として街の評判向上に貢献した偉人である。 また、この街の一番標高が高いところにはペロ王室庭園が天を仰ぎ、庭園内にはルイ14世の銅像が威風堂々と佇んでいる。「太陽の王」とも呼ばれるルイ14世の栄光を讃え、この街で一番太陽に近い場所にこの庭は築かれたのだ。輝かしい歴史の中枢に息づく一方、モンペリエは過去に例のないほどの人口増加に順次対応してきた。南ヨーロッパの経済主要都市の1つでもあり、フランス国内でも8番目に大きな都市であるこの街は、観光客や住民の生活に彩りを与えている。アンティゴーヌでは地中海の風に服をなびかせたサモトラケのニケ像が行き交う人々の目を奪い、また現代建築住宅が並ぶマルボスクや、ショッピングモールのオディゾーム、そしてマリアンヌ港などが、ここまでこの街を大きく発展させてきた要因として挙げられるだろう。
この街で暮らす人口の観点からもフランスで最も活気溢れる都市であるこの街は、ツールの舞台として幾度も一行を出迎えてきた。最近では2005年にロビー・マキュアンが、そして2007年にはロバート・ハンターといったスター選手がこの街で勝利を飾った。そのことからも、幸運にもモンペリエはツールの歴史で、他の街とは違った輝きを放っていると言えるだろう。その上エローの首都モンペリエは、1936年、女子レースであるグランド・ブークルの記念すべき500回目のステージ開催地にもなったほどだ。それから約30年後、1000回目を記念するステージでもこの街が開催地として選手たちを迎え入れ、そのレースではベルギー人選手のエドゥアール・セラズが見事勝利を果たした。
2回目の休息日を翌日に控えた第15ステージは、リムーからモンペリエを疾走する192.5km。ピレネーを終え平坦ステージとなるこの日は、4級山岳ポイントと中間スプリントポイントがそれぞれ1箇所ずつ設置されている。
ピレネー山脈を越え久々に姿を現したこの平坦ステージに、スプリンターたちはチームフル稼働で挑んでくることだろう。それもその筈、残す平坦ステージはパリ・シャンゼリゼを含めてあと2回と、スプリンターたちに用意された舞台は終焉を迎えようとしているのだ…。
ピレネー山脈を越え久々に姿を現したこの平坦ステージに、スプリンターたちはチームフル稼働で挑んでくることだろう。それもその筈、残す平坦ステージはパリ・シャンゼリゼを含めてあと2回と、スプリンターたちに用意された舞台は終焉を迎えようとしているのだ…。

【LIMOUX】
リムーは街の中心である教会を拠点に、徐々にリネンや革製品で発展を遂げていった。またスパークリングワインのブランケットで有名なこの街は、フランスの著名シェフらが選り抜いた樽を競売にかけるオークション「トック・エ・クロシェ」やこの街が誇る絶品料理などで訪れた者を楽しませる。ブランケットは1531年に生まれた世界最古のスパークリングワインで、その酒造法は後に言わずと知れた名シャンパン、ドン・ペリニョンの元となった。この街はもちろんのこと、この地域一帯はワイン製造の主要産業として確立し、アン・ド・ジュワイユーズも一流ワインを製造する有名どころのひとつである。また毎年春になると開催されるトック・デ・クロシェのワインオークションは、教会の尖塔を修復する資金を募るために行われ、オークション後にはトップシェフらによる料理が振舞われるなど、訪れた者を楽しませている。またこのオークションの名前でもある「トック」という言葉は、シェフが被る伝統的な白い帽子の名前から由来している。さらに毎年冬にはリムー・フェコと呼ばれるカーニバルが三ヶ月間に渡って開催される。カトリックの枝の主日にあたる日曜日の12週間前から始まるこのカーニバルは、世界一長い期間開催されているのだ。そして料理はと言えば、ビスケットのペブラドゥー、塩漬けされたアーティチョーク、アヒル、鶏肉の蒸し焼き、ブリオッシュにパンケーキ、ヌガーなど、挙げるときりがない。
修道士ドン・ペリニョンがシャンパンの酒造法を見出すきっかけとなったスパークリングワイン、ブランケットでこの街の名は広く世界に知られている。(シャンパンとは、フランスのシャンパーニュ地方で造られたスパークリングワインのことを指し、その他の地域で造られたスパークリングワインはシャンパンとは言わない)この街の歴史上、この街は”一流”という言葉に慣れ親しんできたが、自転車の歴史はまだ浅く、この街がツール一行を出迎えるのは初めてだ。1976年のグランプリ・デュ・ミディ・リブレのステージでこの街がステージ開催地に選ばれたときには、ルシアン・バンインプがベルナード・イノーやレイモン・プリドールに打ち勝ち、見事優勝を果たした。やがてバンインプはツール・ド・フランスの総合優勝に輝いた。一方女子のレースであるツール・ド・オードでも、この街はステージ開催の主要都市の1つでもある。

【MONTPELLIER】
古フランス語が訛ってモンペリエと呼ばれるようになったこの街の歴史は、数千年にもわたり築かれてきた。カヌールグの地方自治体に属するこの街は、壮大な歴史を感じさせるサンピエトロ大聖堂やペロ王室庭園、そして華麗な大邸宅が街を飾り立て、さらに豊かな自然がこの街の農業を発展させてきた。歴史上の人物であるジャック・クールは、国王シャルル7世の財務大臣として街の評判向上に貢献した偉人である。 また、この街の一番標高が高いところにはペロ王室庭園が天を仰ぎ、庭園内にはルイ14世の銅像が威風堂々と佇んでいる。「太陽の王」とも呼ばれるルイ14世の栄光を讃え、この街で一番太陽に近い場所にこの庭は築かれたのだ。輝かしい歴史の中枢に息づく一方、モンペリエは過去に例のないほどの人口増加に順次対応してきた。南ヨーロッパの経済主要都市の1つでもあり、フランス国内でも8番目に大きな都市であるこの街は、観光客や住民の生活に彩りを与えている。アンティゴーヌでは地中海の風に服をなびかせたサモトラケのニケ像が行き交う人々の目を奪い、また現代建築住宅が並ぶマルボスクや、ショッピングモールのオディゾーム、そしてマリアンヌ港などが、ここまでこの街を大きく発展させてきた要因として挙げられるだろう。
この街で暮らす人口の観点からもフランスで最も活気溢れる都市であるこの街は、ツールの舞台として幾度も一行を出迎えてきた。最近では2005年にロビー・マキュアンが、そして2007年にはロバート・ハンターといったスター選手がこの街で勝利を飾った。そのことからも、幸運にもモンペリエはツールの歴史で、他の街とは違った輝きを放っていると言えるだろう。その上エローの首都モンペリエは、1936年、女子レースであるグランド・ブークルの記念すべき500回目のステージ開催地にもなったほどだ。それから約30年後、1000回目を記念するステージでもこの街が開催地として選手たちを迎え入れ、そのレースではベルギー人選手のエドゥアール・セラズが見事勝利を果たした。
第14ステージ サン・ゴーダン~プラトー・ド・ベイユ 168.5 km
2011.07.17

サン・ゴーダン
【SAINT-GAUDENS】
サン・ゴーダンはピレネー山脈一帯の地域における中心都市であり、物流に富んだ街だ。オート・ガロンヌ県の郡庁でもあり、商業知識や専門技術が充実した設備や事業が盛んだ。サン・ゴーダンとこの地域は多くの漁師が愛して止まない自然に恵まれた環境にある。ガロンヌ川や合金ホワイトゴールドの採れるスキーゲレンデをはじめ、ハイキングやマウンテンバイクのトレイルそして自転車ツアーを楽しめるコースが充実し、またサン・ベルトラン・ド・コマンジュの絶景、さらには教会、ガロ・ローマ文化が色づく大邸宅、リュションやサリー・ドュ・サラそしてバルバザンの誇るスパなどが隣接し、例を挙げるときりがないほどだ。また文化やスポーツも充実している。アンコッスの国立ストリートアートセンターやアートフェスティバル、ジャズフェスティバル、女子国際テニスオープン、屋内で行われるオートバイの試合、ピレネー地域の農場で3年に一度開かれる最大級の農業フェスティバル、ピレネー文化を祝うイベントなど、数々のコンサートや行事でこの街は常に賑わいをみせている。
ピレネー地域の主要道路が行き交う場所にあるこの街に、最後にツールが訪れたのは2009年のことだ。それまでにも数多くツールはこの街を訪れ、実にステージゴール地としては9回、スタート地としては10回、この街はツールの舞台に選ばれている。1970年に開催されたステージで、一行はサン・ゴドンを出発後、ゴール地であるこのピレネー地域圏のラ・モンジーでベルナール・テブネが自身初のステージ優勝を果たした。中でも1976年のステージは印象深い。サン・ゴドンからサン・ラリ・スラン間に設定されたステージで、ルシアン・バンインプとヨープ・ズートメルクがマイヨ・ジョーヌを巡り熾烈な戦いを繰り広げた。そして見事バンインプがマイヨ・ジョーヌを勝ち取り、このピレネーからパリ・シャンゼリゼのゴールまでイエロージャージを持ち帰ったのだった。

プラトー・ド・ベイユ
【PLATEAU DE BEILLE】
第14ステージは、ピレネー山岳が誇る大自然の中で幕を閉じる。べロングから郊外へ出るとチーズと木靴で知られる伝説の渓谷べテマルへと続く。そしてこのステージにはオザ渓谷へ続く山が山岳ポイントに設定されている。1級山岳のコール峠や同じく1級山岳のアニェス峠らが選手たちの前に立ちはだかる。この地は、パラグライディングやカヌー、登山、そして洞窟探検などのスポーツが堪能できる。また近くの二オーにある洞窟には、14000年前に描かれた絵画があり、さらに先に進めば標高1800mのプラトー・ド・ベイユへと続き、360度を見渡せる絶景が旅人を迎えてくれる。さらにここは動植物の聖地でもある。大自然の中で育った刺々しいマツの木は空へ向かって伸び、地面にはユリなどの無数の花が咲き乱れ、その中でヨーロッパオオライチョウが伸び伸びと生活しているのだ。冬には、ここプラトー・ド・ベイユはノルディックスキーがピレネーで最も盛んな場所に位置づけられた。それもそのはず、ここには70kmにもわたるスキーゲレンデと42kmにもおよぶスノーシュートレッキングコースが巡らされているのだ。また夏になると、一帯は放牧場へと変貌する。4ヶ月もの間、ガスコン牛やメレン馬が放牧されている姿を見受けられるだろう。そしてハイキングや乗馬、マウンテンバイクに通じる人にとって、一度は訪れるべき場所でもあるのだ。
クロスカントリースキーは通常冬シーズンに行われることから、この場所は夏よりも冬のイメージが強かった。しかし、過去10年でツールのステージゴール地として4度その舞台に上がったことでこのプラトー・ド・ベイユの名は広く知れ渡り、夏の評判も上がった。1998年に初めてこの場所が舞台にあがり、その年はマルコ・パンター二がステージ優勝を手にした。後にランス・アームストロングが2002年と2004年に2回勝利を挙げ、2007年にはアルベルト・コンタドールが優勝した。これらステージ優勝者の名を聞いてピンと来る人も多いだろう。ここピレネー山岳のプラトー・ド・ベイユを制した者が、その年のツールの優勝者として歴史にその名を残しているのだ。
第14ステージは、ピレネー山脈最終日にして最難関ステージ。サン・ゴーダンからプラトー・ド・ベイユへと駆け抜ける168.5kmは、さほど長い距離ではないものの、6つの山岳ポイントが待ち構える過酷なコース。それもそのはず、3級山岳ポイントが1箇所、また2級・1級山岳ポイントがそれぞれ2箇所ずつ、そして山頂フィニッシュに超級山岳が設置され、ピレネーを駆け抜けてきた選手たちの前に立ちはだかるのだ。マイヨ・ジョーヌ喪失が危ぶまれていたチーム・ヨーロッパカーのトマ・ヴォクレールだったが、難関ピレネー山脈最終日を終え、その座を守り通すことができたのか…。

【SAINT-GAUDENS】
サン・ゴーダンはピレネー山脈一帯の地域における中心都市であり、物流に富んだ街だ。オート・ガロンヌ県の郡庁でもあり、商業知識や専門技術が充実した設備や事業が盛んだ。サン・ゴーダンとこの地域は多くの漁師が愛して止まない自然に恵まれた環境にある。ガロンヌ川や合金ホワイトゴールドの採れるスキーゲレンデをはじめ、ハイキングやマウンテンバイクのトレイルそして自転車ツアーを楽しめるコースが充実し、またサン・ベルトラン・ド・コマンジュの絶景、さらには教会、ガロ・ローマ文化が色づく大邸宅、リュションやサリー・ドュ・サラそしてバルバザンの誇るスパなどが隣接し、例を挙げるときりがないほどだ。また文化やスポーツも充実している。アンコッスの国立ストリートアートセンターやアートフェスティバル、ジャズフェスティバル、女子国際テニスオープン、屋内で行われるオートバイの試合、ピレネー地域の農場で3年に一度開かれる最大級の農業フェスティバル、ピレネー文化を祝うイベントなど、数々のコンサートや行事でこの街は常に賑わいをみせている。
ピレネー地域の主要道路が行き交う場所にあるこの街に、最後にツールが訪れたのは2009年のことだ。それまでにも数多くツールはこの街を訪れ、実にステージゴール地としては9回、スタート地としては10回、この街はツールの舞台に選ばれている。1970年に開催されたステージで、一行はサン・ゴドンを出発後、ゴール地であるこのピレネー地域圏のラ・モンジーでベルナール・テブネが自身初のステージ優勝を果たした。中でも1976年のステージは印象深い。サン・ゴドンからサン・ラリ・スラン間に設定されたステージで、ルシアン・バンインプとヨープ・ズートメルクがマイヨ・ジョーヌを巡り熾烈な戦いを繰り広げた。そして見事バンインプがマイヨ・ジョーヌを勝ち取り、このピレネーからパリ・シャンゼリゼのゴールまでイエロージャージを持ち帰ったのだった。

【PLATEAU DE BEILLE】
第14ステージは、ピレネー山岳が誇る大自然の中で幕を閉じる。べロングから郊外へ出るとチーズと木靴で知られる伝説の渓谷べテマルへと続く。そしてこのステージにはオザ渓谷へ続く山が山岳ポイントに設定されている。1級山岳のコール峠や同じく1級山岳のアニェス峠らが選手たちの前に立ちはだかる。この地は、パラグライディングやカヌー、登山、そして洞窟探検などのスポーツが堪能できる。また近くの二オーにある洞窟には、14000年前に描かれた絵画があり、さらに先に進めば標高1800mのプラトー・ド・ベイユへと続き、360度を見渡せる絶景が旅人を迎えてくれる。さらにここは動植物の聖地でもある。大自然の中で育った刺々しいマツの木は空へ向かって伸び、地面にはユリなどの無数の花が咲き乱れ、その中でヨーロッパオオライチョウが伸び伸びと生活しているのだ。冬には、ここプラトー・ド・ベイユはノルディックスキーがピレネーで最も盛んな場所に位置づけられた。それもそのはず、ここには70kmにもわたるスキーゲレンデと42kmにもおよぶスノーシュートレッキングコースが巡らされているのだ。また夏になると、一帯は放牧場へと変貌する。4ヶ月もの間、ガスコン牛やメレン馬が放牧されている姿を見受けられるだろう。そしてハイキングや乗馬、マウンテンバイクに通じる人にとって、一度は訪れるべき場所でもあるのだ。
クロスカントリースキーは通常冬シーズンに行われることから、この場所は夏よりも冬のイメージが強かった。しかし、過去10年でツールのステージゴール地として4度その舞台に上がったことでこのプラトー・ド・ベイユの名は広く知れ渡り、夏の評判も上がった。1998年に初めてこの場所が舞台にあがり、その年はマルコ・パンター二がステージ優勝を手にした。後にランス・アームストロングが2002年と2004年に2回勝利を挙げ、2007年にはアルベルト・コンタドールが優勝した。これらステージ優勝者の名を聞いてピンと来る人も多いだろう。ここピレネー山岳のプラトー・ド・ベイユを制した者が、その年のツールの優勝者として歴史にその名を残しているのだ。
第13ステージ ポー〜ルルド 152.5km
2011.07.16

ポー
【PAU】
ポーは25万人もの人々が暮らす平和で情熱的な街である。この街にあるホワイトウォータースタジアムには、ヨーロッパで最古のゴルフコースやハイキングコースも充実し、まさにアウトドアスポーツの聖地と言えよう。数々の公園や庭園が街を彩り、自然を身近に感じることができるのもこの街の魅力だ。ポーが誇る城、シャトー・ド・ポーは夜になるとライトアップされ、その姿のあまりの美しさに道行く人は足を止め、心を奪われる。その城からも感じられるように、この街は王家の街としても知られる。フランス王のアンリ4世や、後のスェーデン王でフランスの軍人でもあったカール14世ヨハンらがこの地で生を受けたのだ。またポーでは多くの美食家たちをうならせる。地元名産品である地鶏やジュランソンワイン、フォアグラ、ヤギのチーズなど、数々の絶品料理が食卓を飾る。そして経済の発展もめまぐるしい成長をみせている。地球科学や酪農、航空学そして馬産業などが盛んだ。さらにフランス初の高速ブロードバンドネットワークの共同プロジェクト「ポー・ブロードバンド・カントリー」も稼動している。新しい魅力の加わったこの街は、日帰りで来るのもよし、週末に来るのもよし、定住するもよし、訪れる全ての人の心を満たしてくれるだろう。
1930年に初めてツール一行がポーに訪れて以降、ツールはこの街の虜となった。この街がツールの舞台となった回数は、スタート地点として設定された年も数に含めれば、パリとボルドーに並び、最多となる。そして今年もまた、彼らがポーに帰ってくる。過去にツールの総合優勝を飾った7名の選手が、この街でステージ優勝を飾っている。アンクティルやメルクス、イノー、インドゥラインそしてアームストロングといった、ツールの歴史に数々の伝説を残してきた選手たちに共通して言えるのは、ここポーで開催されたステージで優勝を飾っているということだ。まさに「王の街」ポーは、幾度となくツールの来訪を昔の王と共に出迎えよう。

ルルド
【LOUDERS】
カトリックの巡礼地であるこの街は、世界でも3番目に多くの人が巡礼に訪れ、その数は実に年間600万人にも及ぶ。1858年に聖母マリアがベルナデッタ・スビルーのもとにその姿を現してからというもの、世界各国から巡礼者が後を絶たない。そのため鉄道や空港などの交通機関が非常によく発達し、宿泊施設の数もパリを次ぐ多さだ。またピレネー博物館や11世紀から17世紀建立の要塞化された大邸宅が、数多くこの街を彩っている。さらにスポーツも盛んなこの街では、ゴルフや釣り、氷河湖の散策、サイクリング、ローラーブレード、そして100前にケーブルカーが引かれたピク・デュ・ジェー山頂からのダウンヒルなど、多岐に渡りスポーツが堪能できる。これはピレネー山脈に取り囲まれたこの街ならではの環境がもたらす自然の恵みがあってこそと言えるだろう。
カトリックの巡礼地として世界的にも有名なこの街は、ベルナデッタ・スビルーのもとに聖母マリアが姿を現した場所として広く知られている。また2008年、その年は聖母マリアが姿を現してから150周年を迎え、街では壮大に祝祭が行われた。ツールが初めてこの聖なる街に訪れたのは、バルタリが優勝を果たした1948年のことである。ラグビーが盛んであったこの街はステージのスタート地としても選ばれたことがあるが、それでもこの街のツールの歴史はまだ浅い。しかし近郊にあるウタキャムでは4度のステージ到着地に選ばれたこともあり、ツールに全く縁がなかったわけではないのだ。そして今年、ルルドはステージ到着地として選ばれ、3度目となるツール歓迎ムードに湧いている。
ピレネー山脈2日目となった第13ステージ。ポーからルルドまでを駆け抜けるこの日の距離は152.5km。
第12ステージと比べ、50km以上も距離が短く設定されているものの、超級山岳ポイントであるオービスクト峠が選手たちの前に立ちはだかる。大逃げが予想されるこのステージで、意外な選手が観衆を湧かすこととなった…。
第12ステージと比べ、50km以上も距離が短く設定されているものの、超級山岳ポイントであるオービスクト峠が選手たちの前に立ちはだかる。大逃げが予想されるこのステージで、意外な選手が観衆を湧かすこととなった…。

【PAU】
ポーは25万人もの人々が暮らす平和で情熱的な街である。この街にあるホワイトウォータースタジアムには、ヨーロッパで最古のゴルフコースやハイキングコースも充実し、まさにアウトドアスポーツの聖地と言えよう。数々の公園や庭園が街を彩り、自然を身近に感じることができるのもこの街の魅力だ。ポーが誇る城、シャトー・ド・ポーは夜になるとライトアップされ、その姿のあまりの美しさに道行く人は足を止め、心を奪われる。その城からも感じられるように、この街は王家の街としても知られる。フランス王のアンリ4世や、後のスェーデン王でフランスの軍人でもあったカール14世ヨハンらがこの地で生を受けたのだ。またポーでは多くの美食家たちをうならせる。地元名産品である地鶏やジュランソンワイン、フォアグラ、ヤギのチーズなど、数々の絶品料理が食卓を飾る。そして経済の発展もめまぐるしい成長をみせている。地球科学や酪農、航空学そして馬産業などが盛んだ。さらにフランス初の高速ブロードバンドネットワークの共同プロジェクト「ポー・ブロードバンド・カントリー」も稼動している。新しい魅力の加わったこの街は、日帰りで来るのもよし、週末に来るのもよし、定住するもよし、訪れる全ての人の心を満たしてくれるだろう。
1930年に初めてツール一行がポーに訪れて以降、ツールはこの街の虜となった。この街がツールの舞台となった回数は、スタート地点として設定された年も数に含めれば、パリとボルドーに並び、最多となる。そして今年もまた、彼らがポーに帰ってくる。過去にツールの総合優勝を飾った7名の選手が、この街でステージ優勝を飾っている。アンクティルやメルクス、イノー、インドゥラインそしてアームストロングといった、ツールの歴史に数々の伝説を残してきた選手たちに共通して言えるのは、ここポーで開催されたステージで優勝を飾っているということだ。まさに「王の街」ポーは、幾度となくツールの来訪を昔の王と共に出迎えよう。

【LOUDERS】
カトリックの巡礼地であるこの街は、世界でも3番目に多くの人が巡礼に訪れ、その数は実に年間600万人にも及ぶ。1858年に聖母マリアがベルナデッタ・スビルーのもとにその姿を現してからというもの、世界各国から巡礼者が後を絶たない。そのため鉄道や空港などの交通機関が非常によく発達し、宿泊施設の数もパリを次ぐ多さだ。またピレネー博物館や11世紀から17世紀建立の要塞化された大邸宅が、数多くこの街を彩っている。さらにスポーツも盛んなこの街では、ゴルフや釣り、氷河湖の散策、サイクリング、ローラーブレード、そして100前にケーブルカーが引かれたピク・デュ・ジェー山頂からのダウンヒルなど、多岐に渡りスポーツが堪能できる。これはピレネー山脈に取り囲まれたこの街ならではの環境がもたらす自然の恵みがあってこそと言えるだろう。
カトリックの巡礼地として世界的にも有名なこの街は、ベルナデッタ・スビルーのもとに聖母マリアが姿を現した場所として広く知られている。また2008年、その年は聖母マリアが姿を現してから150周年を迎え、街では壮大に祝祭が行われた。ツールが初めてこの聖なる街に訪れたのは、バルタリが優勝を果たした1948年のことである。ラグビーが盛んであったこの街はステージのスタート地としても選ばれたことがあるが、それでもこの街のツールの歴史はまだ浅い。しかし近郊にあるウタキャムでは4度のステージ到着地に選ばれたこともあり、ツールに全く縁がなかったわけではないのだ。そして今年、ルルドはステージ到着地として選ばれ、3度目となるツール歓迎ムードに湧いている。
第12ステージ クニョー~リュザ・ルディダン 211km
2011.07.15

クニョー
【CUGNAUX】
クニョーはキャピトルとトゥールーズ中心部から10kmの場所に位置している。人口はオートガロンヌ県内で6番目に多く、街はとても活気づいている。都会すぎず田舎すぎないこの街は、数多くの公園によって彩られている。観光に訪れるにも住むにも快適なこの街は、その恵まれた自然環境から、幾度も賞を受賞している。フランス市内を花で彩る数々の街が審査にかけられ、2010年は見事大賞に輝いた。一方でクニョーは経済が発展した街でもある。400もの企業が280ヘクタールの広さを誇る街の一角を本拠地に活動をしている。また文化面にも力を注いでおり、演劇祭や音楽祭など50以上もの数を誇る芸術祭が一年を通して開催されている。スポーツにおいてもその活動は盛んだ。前サッカー選手のダニエル・ブラーボの故郷でもあるこの街には4000人以上もの市民がスポーツに励み、17種以上ものスポーツが楽しめるスポーツクラブが活動している。
トュールーズからほど近いこの街は、ピレネーへ向かう際の経路にしばしば設定されていた。1985年のステージでは、リュズ・アルディダンと花が咲き誇るこの街のちょうど中間の位置にルートが組まれた。レース開催日、マイヨ・ジョーヌを身に纏ったベルナール・イノーは、自身のレース人生の中で最も過酷だと言えるピレネーのレースに挑んだ。その3日前、サン・テティエンヌで起こった悲痛な落車事故がイノーの動きを確実に弱めていた。イノーはトップを行く選手から4分もの遅れを取って山頂へ到着し、チームメイトのパスカル・デルガドや総合順位争いをしていたグレッグ・レモンからも大きく遅れてフィニッシュしたのだった。

リュザ・ルディダン
【LUZ-ARDIDEN】
標高1680〜2500メートルの高さに位置するリュザ・ルディダンはスキーリゾート地として絶大な人気を集めている。初心者から上級者まで楽しめる65kmの長さを誇るゲレンデがその人気を集める一番の要因かもしれない。行き届いた設備もまた、観光客を喜ばせる。それだけではなく、他にも数多くの施設が訪れたものを迎え入れる。雪が一面に広がる公園、2つのスキー学校、バー、レストランがゲレンデのふもとにあり、託児所も完備されている。それに加え、110もの人工降雪機が理想的な雪を演出している。またゲレンデ近くのピレネー国立公園にあるガヴァルニ自然園の麓には、来訪者にとって理想的な空間が広がっている。登山としても有名なこの地域に澄み渡る新鮮な空気は、登山で疲れた体を労ってくれることだろう。またこの地は畜産業が盛んな地域でもあり、この付近を訪れた際にはぜひ立ち寄って地元のラム肉を堪能してみてはどうだろう。自然だけでなく、歴史の色も濃いこの街には、数々の建築物も未だその姿を残している。要塞に囲まれた12世紀の聖堂騎士団教会や10世紀頃のサント・マリー邸宅などがその例として挙げられるだろう。ポン・ナポレオンへ出向けばバンジージャンプに挑戦することもでき、ヴィアフェラータではロッククライミングも楽しめる。
ピレネーのゴールはいつも、輝かしい成績や特筆すべき出来事が起こる場所として広く知られている。たとえばベルナール・イノーの至難の年でもあった1985年、クラウディオ・チアプッチもまた苦難に喘いでいた。グレッグ・レモンのアタックに続いたものの、わずか5秒しかその差を拡げることができず、またミゲル・インドゥラインが2つ目の山岳ステージ優勝に輝いていた。それから4年後、リシャール・ヴィランクが自身初のステージ優勝に輝いた舞台もここ、リュズ・アルディダンだった。2003年のツールでは、ランス・アームストロングが登りで落車し、その恐怖はそのレース中ずっとランスにつきまとった。
いよいよ超級山岳ステージに突入したツール一行。第12ステージでは、伝説の峠トゥールマレーが待ち構える、クニョーからリュザ・ルディダン間を駆け抜ける211kmの長旅だ。超級山岳ステージ初日から、1箇所の1級山岳ポイントと2つの超級山岳ポイントの激坂が選手たちの前に立ちはだかる。これまで息を潜めていたクライマーたちは、この過酷なステージでどんな勇姿を見せてくれるのだろうか。

【CUGNAUX】
クニョーはキャピトルとトゥールーズ中心部から10kmの場所に位置している。人口はオートガロンヌ県内で6番目に多く、街はとても活気づいている。都会すぎず田舎すぎないこの街は、数多くの公園によって彩られている。観光に訪れるにも住むにも快適なこの街は、その恵まれた自然環境から、幾度も賞を受賞している。フランス市内を花で彩る数々の街が審査にかけられ、2010年は見事大賞に輝いた。一方でクニョーは経済が発展した街でもある。400もの企業が280ヘクタールの広さを誇る街の一角を本拠地に活動をしている。また文化面にも力を注いでおり、演劇祭や音楽祭など50以上もの数を誇る芸術祭が一年を通して開催されている。スポーツにおいてもその活動は盛んだ。前サッカー選手のダニエル・ブラーボの故郷でもあるこの街には4000人以上もの市民がスポーツに励み、17種以上ものスポーツが楽しめるスポーツクラブが活動している。
トュールーズからほど近いこの街は、ピレネーへ向かう際の経路にしばしば設定されていた。1985年のステージでは、リュズ・アルディダンと花が咲き誇るこの街のちょうど中間の位置にルートが組まれた。レース開催日、マイヨ・ジョーヌを身に纏ったベルナール・イノーは、自身のレース人生の中で最も過酷だと言えるピレネーのレースに挑んだ。その3日前、サン・テティエンヌで起こった悲痛な落車事故がイノーの動きを確実に弱めていた。イノーはトップを行く選手から4分もの遅れを取って山頂へ到着し、チームメイトのパスカル・デルガドや総合順位争いをしていたグレッグ・レモンからも大きく遅れてフィニッシュしたのだった。

【LUZ-ARDIDEN】
標高1680〜2500メートルの高さに位置するリュザ・ルディダンはスキーリゾート地として絶大な人気を集めている。初心者から上級者まで楽しめる65kmの長さを誇るゲレンデがその人気を集める一番の要因かもしれない。行き届いた設備もまた、観光客を喜ばせる。それだけではなく、他にも数多くの施設が訪れたものを迎え入れる。雪が一面に広がる公園、2つのスキー学校、バー、レストランがゲレンデのふもとにあり、託児所も完備されている。それに加え、110もの人工降雪機が理想的な雪を演出している。またゲレンデ近くのピレネー国立公園にあるガヴァルニ自然園の麓には、来訪者にとって理想的な空間が広がっている。登山としても有名なこの地域に澄み渡る新鮮な空気は、登山で疲れた体を労ってくれることだろう。またこの地は畜産業が盛んな地域でもあり、この付近を訪れた際にはぜひ立ち寄って地元のラム肉を堪能してみてはどうだろう。自然だけでなく、歴史の色も濃いこの街には、数々の建築物も未だその姿を残している。要塞に囲まれた12世紀の聖堂騎士団教会や10世紀頃のサント・マリー邸宅などがその例として挙げられるだろう。ポン・ナポレオンへ出向けばバンジージャンプに挑戦することもでき、ヴィアフェラータではロッククライミングも楽しめる。
ピレネーのゴールはいつも、輝かしい成績や特筆すべき出来事が起こる場所として広く知られている。たとえばベルナール・イノーの至難の年でもあった1985年、クラウディオ・チアプッチもまた苦難に喘いでいた。グレッグ・レモンのアタックに続いたものの、わずか5秒しかその差を拡げることができず、またミゲル・インドゥラインが2つ目の山岳ステージ優勝に輝いていた。それから4年後、リシャール・ヴィランクが自身初のステージ優勝に輝いた舞台もここ、リュズ・アルディダンだった。2003年のツールでは、ランス・アームストロングが登りで落車し、その恐怖はそのレース中ずっとランスにつきまとった。
- C.エヴァンス(BMC) 86:12:22[確定]
- A.シュレク (LEO) +00:01:34
- F.シュレク (LEO) +00:02:30
- M.カヴェンディッシュ(HTC) 334 pts
- J.ロハス (MOV) 272 pts
- P.ジルべール (OLO) 236 pts
- S.サンチェス (EUS) 108 pts
- A.シュレク (LEO) 98 pts
- J.ヴァネンデール (OLO) 74 pts
- P.ローラン (EUC) 86:23:05
- R.タラマエ (COF) +00:00:46
- J.コッペル (SAU) +00:07:53
- ガーミン・サーヴェロ 258:18:49
- チームレオパード・トレック +00:11:04
- AG2R ラ・モンディアル +00:11:20
< 出場チーム >
- AG2R・ラモンディアル(フランス)
- アスタナ(カザフスタン)
- レオパード・トレック(オランダ)
- コフィディス(フランス)
- エウスカルテル・エウスカディ(スペイン)
- モビスター(スペイン)
- FDJ(フランス)
- ガーミン・サーヴェロ(アメリカ)
- カチューシャ(ロシア)
- ランプレ・ISD(イタリア)
- リクイガス・キャノンデール(イタリア)
- オメガファーマ・ロット(ベルギー)
- クイックステップ(ベルギー)
- ラボバンク(オランダ)
- HTC・ハイロード(アメリカ)
- ヨーロッパカー(フランス)
- レディオ・シャック(アメリカ)
- サクソバンク・サンガード(デンマーク)
- チーム・スカイ(イギリス)
- BMCレーシング(アメリカ)
- ヴァカンソレイユ・DCM(オランダ)
- ソール・ソジャサン(フランス)























