地中海に面したモナコをスタートする第96回大会のコースは、休日2日を含む23日間の総距離3,459.5km。勝負どころとなる山岳ステージは7区間。タイム差がつきやすい頂上ゴールはそのうち3区間だ。チームタイムトライアルが復活したものの、個人タイムトライアルの総距離は56kmと短め。訪問国はフランスを含めてモナコ、スペイン、アンドラ、スイス、イタリアの6カ国で、92年の7カ国に次ぐ多さ。
勝負どころは、アンドラ・アルカリスにゴールする第7ステージ。この山岳は97年にヤン・ウルリッヒが独走し、そのタイム差を利して優勝したところ。そして標高2,000m超、大小2つのサンベルナール峠を越える第16ステージ。さらに第20ステージのモンバントゥーだ。
山岳の要素が強いだけに、登りを得意とするスペイン勢を中心に優勝争いが展開される。昨年の覇者サストレは、マイナーチームに移籍したことでアシスト陣の実力に不安が残る。これに対して2年ぶりの優勝をねらうコンタドールは、大会7連覇のアームストロングが現役復帰してアシスト役に回るなど、盤石の態勢。ツールの前哨戦といわれるドーフィネリベレで活躍したバルベルデも絶好調で、初優勝をねらってくるだろう。
2年連続2位に甘んじているエバンスは、タイムトライアルでアドバンテージを得るはずだが、昨年まではチームメートの協力を得られず孤立。今季はそれを克服できるかが初優勝への鍵となる。
そして今年はフランスのBboxブイグテレコムに所属する新城幸也の参戦が決定。さらにオランダのスキル・シマノに所属する別府史之にも参加の期待がかかる。日本選手がどんな走りをしてくれるのかも注目。
勝負どころは、アンドラ・アルカリスにゴールする第7ステージ。この山岳は97年にヤン・ウルリッヒが独走し、そのタイム差を利して優勝したところ。そして標高2,000m超、大小2つのサンベルナール峠を越える第16ステージ。さらに第20ステージのモンバントゥーだ。
山岳の要素が強いだけに、登りを得意とするスペイン勢を中心に優勝争いが展開される。昨年の覇者サストレは、マイナーチームに移籍したことでアシスト陣の実力に不安が残る。これに対して2年ぶりの優勝をねらうコンタドールは、大会7連覇のアームストロングが現役復帰してアシスト役に回るなど、盤石の態勢。ツールの前哨戦といわれるドーフィネリベレで活躍したバルベルデも絶好調で、初優勝をねらってくるだろう。
2年連続2位に甘んじているエバンスは、タイムトライアルでアドバンテージを得るはずだが、昨年まではチームメートの協力を得られず孤立。今季はそれを克服できるかが初優勝への鍵となる。
そして今年はフランスのBboxブイグテレコムに所属する新城幸也の参戦が決定。さらにオランダのスキル・シマノに所属する別府史之にも参加の期待がかかる。日本選手がどんな走りをしてくれるのかも注目。

地中海に面するモナコ公国は、総面積わずか2平方キロの、バチカンに次ぐ世界で二番目に小さい国。そのうちの40ヘクタールは海を埋め立てて造られた土地だ。海岸沿いに進む4キロの狭い街路は、フランスとイタリアそれぞれの海岸保養地を結んでおり、温暖な気候を生む穏やかな陽光は、年間を通じてこの街に降り注いでいる。
この公国には、1つのモナコ市があるのみであり、それは5つの街区―モナコ市街、モンテカルロ、ラ・コンダミーヌ、ファンヴェイユ、レ・モネゲッティ―に分かれている。
総人口32,000のうち、モナコ国籍を持つ人の数はわずか8,000人。フランスからはそれを超える9,000人が、イタリアからは5,000人がここに定住しており、その他を合わせると実に125ヶ国の人々から構成されるこの国は、まさにコスモポリタン王国といえるだろう。
主権を持った独立国だが、国際法の一般原則とフランス共和国との特別な協調関係とがあるにすぎない。7世紀の間、モナコ公国は単一の王朝―グリマルディ家―によって治められてきた。現在に続くこの長い歴史を通じて、グリマルディ家はずっとこの地に独立と王統を繋いできた。このことは、世界中の人々がこの小さな都市国家により大きな存在感を抱く所以となっている。
© Monaco Press Center / Charly Gallo

モナコには、32,000の人口に対し、約50,000件の仕事がある。毎日35,000人のフランス人と4,000人のイタリア人が仕事をしにやってくるからだ。国内で生じた利益は130億ユーロ以上に達した(2006年)。
モナコの経済は主に金融業と観光業に力を注いでいる。また土木・建設業も重要な産業セクターだ。国家ぐるみで行われる耐震技術開発や干拓事業、高層ビルの建設などは、特異な地域性を持つこの国の発展をけん引してきた。
さてこの国のことといえば忘れてはいけない、数多くの娯楽やスポーツイベントのことについて触れよう。F1グランプリ、ヘラクレス・アスレチックス・ミーティング、モンテカルロ・テニス・マスターズ、サッカーのリーグチャンピオンシップ第1ステージ(地元ASモナコも参戦)等々。
この国はまた非常に豊かな文化とアートの伝統を持っている。バレーやオペラ、オーケストラ、国際サーカス・フェスティバル、TVフェスティバル、その他多くの博覧会や見本市では、ホスト国として国際的に高い評価を得ており、その典型としてモナコ国際ヨットショーやスポーツ番組見本市などがある。
© Monaco Press Center / Charly Gallo

世界で二番目に小さいこの国の目覚ましい発展は、モナコを世界で最も人口密度の高い国のひとつにしてしまった。これは、政府が自然遺産や海洋生態系の保護、汚染物質廃棄物の制限などを打ち出す大きな理由となった。
緑地は公国の表面積の20%に相当している。そして、1910年に“科学者王子”ことアルベール1世によって開設された海洋学博物館は、海洋環境を保護するこの国のムーブメントを象徴している。ここの水族館には6,000もの魚が海洋水で満たされた90個の水槽で生活している。
1992年のリオ会議において、レーニエ3世は持続可能な発展に賛成してこれを支持することを誓約し、アルベール2世は持続可能な発展と倫理的環境保護プロジェクト(3つの主だった課題である水への普遍的アクセス、気候変動そして生物多様性と自然環境の保護に重点的に取り組んでいる)を支えるためにアルベール2世基金を2006年に創設した。
© Monaco Press Center / Charly Gallo

ブリニョールは、中世のプロヴァンス伯爵の領地であったという過去の遺産が今に息づく街である。およそ100年間ボーキサイト(これはボー・ド・プロヴァンスの名にちなんで名付けられたもの)を産し続けたが、この赤土はブリニョールやその周辺地域の富や活気のあるアイデンティティを築く役割をも果たした。芸術と歴史の土地として評価されている景観は、豊かな自然と工業の歴史的遺産を、住民の強烈な記憶と共に明るく照らしている。
夏季にはきわめて優れたイベントやショーを主催することでも有名だ。8月はブリニョールジャズフェスティバルや中世フェスティバル(混沌とした中世風の祭りの中で、誰もがこの街を再発見する)、そして9月はプラム祭が待っている。
街が自慢にするいくつかの史跡も訪れる価値はあるだろう。プロヴァンス伯爵の古城や聖セイヴィア教会は、どちらも13世紀からのもの。街の民俗資料館では古都についての豊富な史料を閲することができるが、最も古い文書はやはりこの時代から始まっている。
© Brignoles communication service

マルセイユにはスポーツがある。国際的なスポーツイベント、地域競技会、楽しみや健康のためのスポーツ、それら全てがこの街の生活を彩るのだ。
マルセイユは、57キロメートルの海岸線を持つ壮大な自然を持ち、ここではアウトドア活動や深海ダイビング、魚釣りやセーリング、スライディングやグライディングが満喫できるし、この地域独特の地形であるカロンク(岩の切片の狭い入り江)は、ハイカーやロッククライマーにとっての楽園である。
おびただしい数の娯楽施設は幅広いスポーツ活動のためにあるのだといえる。60の異なる団体が推計人口300,000人のスポーツマン/スポーツウーマンのためにあり、1,500のクラブに対し150,000人のスポーツライセンス所有者がいる。
スポーツの推進は社会的な連帯感を生み、豊かな国際都市のアイデンティティを強固にし、現役選手、児童、学生、スポーツ愛好者、家族、そして単なる観客などさまざまなシーンで彼らをひとつに結びつける力を持っている。
マルセイユはこのようにスポーツを奨励し、そしてまた活気のある快適な街であるというイメージをさらに高めるため、国際的イベントの招致にも常に積極的だ。
© City of Marseille

地中海沿岸のみずみずしい緑、ラングドック海岸線上に位置するプティ・カマルグの素晴らしい砂浜。ラ・グラン・モット・・・この豊饒な海浜リゾート地は、訪れる人々に言い知れぬ解放感を与えるだろう。
独特の形状を持つこの街は、ジャン・バラドゥールによってデザインされた。彼は自然、水平線上のピク・サンルーの輪郭、そしてメキシコのインカピラミッドなどからインスピレーションを受けたという。ヨーロッパで最も環境に優しいリゾートで、街はさながら青々とした爽やかな公園といった趣きで、ひねもす太陽は輝いている。
国際的に有名なゴルフコースや複合型プール施設、30面以上あるテニスコート、タラソテラピー(海洋療法)施設、カジノやプライベートビーチ・・・ここは夢のように素晴らしい休暇先であり、享楽の園である。一年を通じて賑わう“フランスのフロリダ”は、人々に都会の喧騒を忘れさせ、極上のリラクゼーションを提供する街なのだ。
人生の喜びを凝縮したこの沿岸の街は、最近、生誕40年を感激と共に浮かれ騒いだ。
© O. Maynard

地中海に面するモンペリエは、人口増加率でみるとフランスで最も速い成長を遂げた都市のひとつ。革新と伝統、共同体と市民とが地中海様式の生活技術との間に心地よい調和を実現している。学問的な伝統が豊かに息づいているのは、かつて学者や医者、思想家達を多く集め、彼らをして学問に励んだり、教鞭を執ったりしたこの街の歴史と無縁ではない。
千年の歴史を受け継ぐモンペリエ。この街は今日250,000の人口を持つ力強い街である。医薬品、ヘルス、薬剤学、情報技術、環境、熱帯のそして地中海の農学など高い知的価値をともなう最先端技術の導入により、ここ20年で、35,000件の仕事が新たに生まれた。そしてまた観光業は6,500件近くの仕事を占める。今日、32,000近くの企業がすでにモンペリエに落ち着いており、今後も増え続けるに違いない。このことは、モンペリエが南ヨーロッパの経済的首都としてこののちも機能し続けることを意味する。
© City of Montpellier

長閑な農耕地でしかなかったこの土地がモンペリエという現代の大都市に変貌するには数世紀の時間を要した。
古い邸が並ぶ荘厳な雰囲気は、この街の富と繁栄の歴史を証している。ペイルー公園には、ルイ14世の立派なブロンズ像が聳える。太陽王と呼ばれたルイ14世を讃えるこの公園は、街のシンボルである。
歴史的都市の中心近くでは、急激な人口増加に対応して都市開発が行われた。街は殺到する住民へ充分な質の住居を提供するため広げられ変えられていった。カタロニアの建築家リカルド・ボフィールによって設計されたアンティゴネは新しい近郊地のひとつであり、1980年に造られた。
典型的な地中海スタイルとして、モンペリエには数多くの広場がある。コメディオペラハウス(これはパリのガルニエ宮のレプリカなのだが)に隣接するコメディー広場は最も有名である。コメディー広場はヨーロッパで最も広い歩行者専用広場のひとつでもある。
© City of Montpellier

淡水と海水が合流する海浜リゾート、エロー川とミディ運河が地中海に出会う場所。ここカプダジュには、14キロに及ぶ素晴らしい砂浜がある。ここではウォーキングやレクリエーション、テニスやゴルフ、スキューバダイビング、水上競技などが楽しめるうえ、遊園地、カジノ、ディスコ、水族館、国立自然保護区、水中考古学博物館など、家族連れで楽しめる娯楽施設も揃う。
目と鼻の先にあるアグド街は2600年の歴史を持っている。アグドはその地を“Agathe Tyche”(良い運命)と名付けた古代ギリシャ人によって紀元前5世紀に建設された。かつての主教区で、火山帯であるオーヴェルニュ地方の最南端に位置しており、75万年前にモン・サン・ルーが噴火した際の火山岩がどこでもはっきり見られる。
ミディ運河の円形の水門がアグドにはある。この水門は建築学的・技術的偉業であるとされ、3つの異なる水位に対応することができる。
© N. Chorrier

ツール・ド・フランスのステージに選ばれた喜びはまずおいておこう。ペルピニャンはとにかく、独特の歴史と文化を持ち、それでいて未来への志向も忘れない魅力的な街なのだ。
ルシオンへの入り口であるペルピニャンはいま、急成長を遂げつつある。ペルピニャン~バルセロナ間を結ぶ高速鉄道の敷設や、フランスの世界的建築家ジャン・ヌーヴェルによる劇場の建設、そしてヨーロッパで最初に再生可能エネルギー100%の街にするという計画など、実にわくわくさせるものばかり。
四囲を見渡せば、カニグーの名峰と地中海、そしてトラモンターナ(アルプスおろしの北風)に雲を吹き飛ばされた真っ青の空がある。これこそが、カタルーニャのペルペニャンだ。カタルーニャ文化の中心であり、歴史と芸術の街であるペルピニャンは、そのコスモポリタン的遺産をとともに、人々を惹きつけてやまない魅力を湛えている。
ダリ、マイヨール、バルビーノ・メデリン・・・ペルピニャンは今も昔も芸術家をとらえ、着想を与え続ける存在だ。
© City hall of Perpignan

スペイン・ジローナ県の県都であるジローナは、人口9万人の都市。ここが古い歴史を持つ街であることは、中世カタロニアのもっとも大きなユダヤ人居住区跡の一つ“Calls”や、大聖堂とその身廊、世界で最も大規模なゴシック様式の建築例である聖フェリックス教会と鐘楼、アラブ浴場やガリガンツ・ロマネスク様式のサン・ニコラス教会とサン・ピエール教会などを見れば明らかだろう。大学都市であるジローナは、映画・歴史・美術・考古学などの博物館を持ち、美食や文化の中心地である。そのことは国際的に有名な音楽や演劇などのイベントをホスト都市として数多く開催してきたことにはっきりと表れている。
ジローナの周辺地域は、多くの変化に富んだ文化や、計り知れない自然の輝き、多様な伝承物といった恵みに特徴づけられたところだ。カタルーニャ地方の海岸(コスタ・ブラバ)やピレネー山脈を訪れた人々は、この地域に散在する何世紀もかけて魅力や個性がつくられた小さな村々、うつろいゆく景色、あふれる文化の多様性に目を瞠ることだろう。
© Js. Carrera

バルセロナは、その恵まれた地理的条件によって常に人々に愛されてきた。沿岸の都市バルセロナは、海に開かれていて、豊かな伝統と個性とを湛えている。バルセロナは海からその強固な地中海文化と海岸での生活スタイルを受け継いだのであり、これらの地域では、通りや広場での野外活動を夏も冬も変わりなく楽しむことができる。ここはまた、カタルーニャ地方の素晴らしい美食グルメを味わうのに申し分のない場所である。
バルセロナは丘に抱かれた街でもある。北には、コルセロラ丘がぼんやりと現れる。そこは広く開けた緑の空間であり、バルセロナの都市の「肺」であり、生活のよりどころである。そして、都市のちょうど中心には、素晴らしい丘・モンジュイがそびえ立つ。この丘には1929年の万国博覧会の時代から続く19世紀風の建物や、1992年のオリンピックのときに建てられた娯楽施設などが残されてあり、一帯の公園や庭園と混じってバルセロナの人々の憩いの場となっている。
© City hall of Barcelona

バルセロナを歩けば、この街の「かたち」が時代ごとに変容を続けていることに気づく。旧ローマ帝国の壁の遺物群、壮観な中世ゴシック様式の建造物―大聖堂、宮殿、教会、王立造船所―が残る市街、そして、アントニオ・ガウディによってデザインされた、極めてユニークな個性を持つ近代主義建築物のシルエット。さらに歩を進めると、現代の摩天楼群が支配する空に描かれた地平線のうねりを、首を痛くしながら見上げるのだ。
これら現代の高層ビル群は特別優れたデザイナーの建築物である。長い作品リストのいくつかだけを挙げれば、ジャン・ヌーヴェルによるアグバール・タワー、リチャード・マイヤーによるバルセロナ現代美術館、日本人建築家・磯崎新によるサン・ジョルディ・スタジアムなどがある。
バルセロナには、建物、記念碑、博物館、絵、彫刻が溢れており、彼らの芸術こそが、この街を特徴づけているのだ。
© City hall of Barcelona

アンドラ公国にある標高1940mの街アルカリス。ここは、バルノードの複合スキー場の一部であり、シーズンになると、スキーヤーやスノーボーダーのために90kmのスキー斜面が開かれる実に活動的な街だ。アルカリスはまた、トリスタイナ三湖やソルテニー自然公園のような美しい景観を見つけるのに理想的な場所でもある。
アルカリスはアンドラの七教区の一つ、オルディノの一部である。公国の真ん中にあって平和な安息地である人口2,500人のオルディノはまた、その公会堂、音楽学校、自然学習館、郵便博物館、そして5万もの異なるバッジのコレクションがあるバッジ博物館などを持つ文化の中心地である。
アンドラでは、その伝統的な社会生活の面影をたずねることもできる。例えば、今なおアンドラにある16世紀の貴族の領地であるアレニー・プランドリットのミュージアムハウスや、ロマネスク様式のサン・マルティ教会は12世紀の絵画を多数所蔵しているし、同じ時代から続いているカルパルの石臼と製材機などもある。
© Andorra turisma SAU

ピレネー山脈の中心部、フランスとスペインの間におさまったアンドラ・ビエイユは、アンドラ公国の教区であり首都でもある。標高1400mに位置しており、ヨーロッパでもっとも高いところにある首都だ。
アンドラ公国は、1278年にフランスとスペインの宗主契約によってつくられた。ビエイユは、公国の商業、政治、文化の中心である。900人の観客を収容できるこの街の講堂では、音楽やダンス、映画上映などのカルチャーイベントが頻繁に催される。
古い歴史を持つこの街は、アンドラ文化の起源と伝統を証明する古風な通りや、御影石や錬鉄、または木でできた伝統的な家や建物が並び、画趣をそそる。都市の建物でもっとも注目すべきなのは、公国のロマネスク様式の素晴らしい芸術の一つであるサンタ・コロマ教会、そして17世紀の初めに建てられ、1707年から国会として使われている“la Maison des Vallees”(谷間の家)である。
© Andorra turisma SAU

ピレネー地帯、アリエージュ県の小さな丘にひそむこの街は、古代ガロ・ロマン様式のサン・リジェ司教区であったころの面影を今に残している。山頂から流れ出る二つの急流(サラとレズ)は、クースランの古風で趣のある通りの間を流れて一つになる。
一帯の山に住む人々のために催される見本市やマーケットは、めずらしいものが見たくてしょうがない観光客たちに特に喜ばれるイベントだ。サンジロンには、クースランの商業組織の大部分が集中しており、またこの街の繁栄は、地ビール生産、コーヒー焙煎、製紙業、チーズ製造場、クリスマスの飾付け人形の製造、ガラス製造業、建造業といった中小企業の活動に支えられている。
喧騒とは無縁に生きる人々と、例外的に良い気候。地理的な条件と合わせ、この街は旅行の目的地として申し分のない場所だろう。モン・ヴァリエのような象徴的な頂が重畳と連なるピレネー山脈の偉容は、山岳スポーツ愛好者たちの心を掴んでやまない。
© City hall of Saint-Girons

サンゴーダンのスポーツへの情熱は年間を通じて変わることがない。ツール・ド・フランスやRoute du Sudなどの自転車競技だけでなく、女子テニスのGDF SUEZオープン、ラグビー、サッカー、そしてコマンジュ・サーキットでのモーターレーシングなどがある。
サンゴーダンは文化的な側面も併せ持っている。ジャン・マルミニョン劇場や国立ストリートパフォーマンスアート・センターにおける舞台芸術の数々、サンチャゴ礼拝堂では現代アートの展覧会が頻繁に催され、毎年5月になると、この街で育ったサクスフォーン奏者ガイ・ラフィットに捧げられたジャズ・フェスティバル“サクソフォーンとの出会い”がここで開かれる。
さまざまな博覧会や展覧会を行うコマンジュ・ホールでは、3年に一度ピレネー地方最大の農業博覧会を開催するが、これに4万人を超える人々が詰めかけるという。
© Laure Tabary

ピレネー山脈の麓にひろがる街、タルブ。その豊かな生活環境の中にあっては、多様な文化とスポーツへの関心が自然と育まれるのに違いない。
タルブは歴史的な街だ。立ち並ぶ大聖堂や教会といった歴史的建造物が、そのなによりの証言者であろう。
タルブは馬術の伝統を持つ街であり、国が運営する種馬飼育場は、競走馬として知られるアングロアラブ種の生産が始まったところだ。
タルブはまた花の街でもある。国によってに格付けされた「4つの花」が有名。11ヘクタールもの広さを持つマッセイ庭園もまた、見どころのひとつだ。ピレネーの急流に接した理想的な散歩道もある。
スポーツもまた盛んである。その天然の地形は余暇のサイクリングにぴったりだ。タルブ・フェンシング協会は三人のオリンピックチャンピオンを育てた。ここでは、テニスの国際トーナメントも開催される。
© City hall of Tarbes

リモージュは人口25万人を抱える大都市であり、窯業(磁器生産)の世界的な中心地であるが、過去の遺産を守るだけの街では決してない。産業組織(13,000以上もの企業群―有名な国際的大企業と中小零細企業とを合わせた―がある)の活動を促進するために、リモージュでは、超現代的な産業分野を支援し、また陶芸品の分野でも先進的で創造的なデザインを生み出し、技術革新をリードする「ESTER研究センター」のような施設をもうけ、発展させてきた。
リモージュはまた歴史と芸術の都としても評価されている。ゼニス・マルチメディアフランス言語図書館やオペラ劇場、博物館や文化施設など、どれも極めて水準が高い。
一人あたり51平方メートルの居住スペースを持ち、水と緑は常に生活の周辺に絶えることがない。クオリティ・オブ・ライフを何よりも重視するリモージュが、環境を守り、コンパクト都市を目指すのは、そこに住み、働き、余暇を楽しめる街にしようと努めるからだ。
スイミング・プール、スポーツ競技場や体育館、水上スポーツセンター、ゴルフコースにハイキングコース。スポーツ好きは選ぶのに困ってしまうだろう。・・・そして、歩き続けたい人のために、リムザンの田舎は、すぐ近くにあることも付言しておこう!
© City of Limoges

ベリー地方の中心に位置するイスデュンは、人口23,000ほどの小さな街。この都市の起源は、ガロ・ロマン時代に遡る。12世紀の終わりごろ、イスデュンの街は獅子王リチャードとフェリペ・オーギュストの間の戦争の恐ろしい戦場だった。やがて巨大な胸壁に守られた白い巨塔が建設されると、この街を攻撃するのは事実上不可能になった。これが有名なラ・トゥール・ブランシェである。これは最終的に、カスティーユ王女とルイ8世(即位前)との結婚を期に、フランス王国に委譲された。
現在、この塔は夏季のみ一般に公開されており、頂上から見る街とそれを取り囲む雄大な景色は息を呑むほどである(7、8月は夜でも入場できる)。芸術や歴史の愛好家には、イスデュンでもっとも美しい博物館、サン・ロッシュ・オスピス博物館を見つけて歓喜するであろう(しかも無料ときている!)。ここでは、古代の貴重な遺品の数々が展示され、また現代アート展などもしばしば開かれる。
© City of Issoudun

ヴァタンは、フランスのほぼ真ん中に位置するアンドル県、ヴィエルゾンとシャトールーの間にある、住民2,000人ほどの街である。ヴァタンとは「立ち去れ」という意味で、この町は、アルナック・ラ・ポスト(郵便局を騙す)やブージール(壊れている)、トレコン(とても馬鹿)など、その他多くの街とともにフランスの“おかしな地名組合”に参加している。だが、この町は訪問者をもてなす術を知っており、誇らしげに「ヴァタン(立ち去れ)・・・あなたはまた戻って来るだろう」の看板を掲げている。
この町の主要な資産のひとつとして、この地域共同体での活動を促進している、活気に満ちた地域組合の存在がある。ベリー・グリーンレンティル祭とサーカス祭は、この資産の輝かしい実例である。
そのため、国土計画省、スポーツ・文化協会連盟、そして共済組合がこの地方の都市開発を称えて、ヴァタンのすぐ外、フェルディナン・ド・レセップス(スエズ運河を建設したフランスの外交官)のかつての実家があった場所に博物館を建設することにしたのは、何も不思議なことではないのである。
ヴァタンの町は訪問者を魅了することに全力をつくしており、ツール・ド・フランスを迎えることで、その目標は実現されるのである。
© City hall of Vatan

12世紀の古城が佇むこの街は、歴史的著名人を数多く輩出したことで知られる。世界で最初の資本家といわれるジャック・クールや、モンパンシエ公爵夫人でルイ14世の実のいとこであるグランドマドモアゼル、国民公会(フランス革命期の立法機関)の有名なメンバーで1793年にルイ16世の処刑に投票したことで暗殺されたルイ・ミシェル・ルペルティエ・ド・サンファルジョー、そして現代作家ジャン・ドルメッソンなどがその代表だ。
この街を観光するなら、ヨーロッパで唯一の初期楽器博物館や、豪華なバラ窓をもつ13世紀の聖フェレオール教会はいかがだろう。美しい尖塔がそびえる鐘楼や、荘厳な壁画を誇る聖アンネ礼拝堂(いずれも15世紀)もおすすめだ。
美しいブルトン湖で水上スポーツを楽しむのもいい。ボートやカヌー、カヤック、ヨットにスイミングとくれば、ついでに釣り、乗馬、狩猟、そして雑木林の小道を行くハイキングなどもできるはずだ。
© Maison de la Puisaye-Forterre

トネールは、パリから2時間、フランス中部の中都市ディジョンから90分という好適な立地条件を持つが、その恩恵は十分に享受しているようだ。
この街の歴史的な軌跡は、通りを歩いたり運河をぶらつけばすぐにわかることである。中世の総合病院(13世紀)や、サンピエール教会とノートルダム・ルネッサンス教会、天然の緑青色の泉―円形の洗濯場として発展した―フォス・ディオンヌなどがあり、また謎のスパイとして歴史にその名を残すシュヴァリエ・デオン(フランスの外交官)の生家もある。
ブルゴーニュ地方に属するトネールは、良質のワインを産む街としても有名だ。トネールの白ワインは現在オリジナルラベルの保証書を有している。
© City hall of Tonnerre

ヴィッテルはスタイリッシュな建築デザインと保全された自然環境がまず第一に目をひく魅力的な街である。
美しい建築遺産こそこの街の誇りである。ベル・エポック(良き時代)を思わせる、目にも鮮やかなアール・デコ調の豪華ホテルなどはそのひとつであろう。
またヴィッテルは、緑の中で新鮮な空気と爽やかな風景を楽しむのに最適な場所である。ウォーキング、水泳、テニス、ゴルフ、マウンテンバイク、乗馬などは言うに及ばず、アドベンチャーパークでスリルを味わったり、地球ガーデンを探索したり、レースやカジノで運だめしをしたりすることもできる。ヴィッテル・スパでは、温泉のほかに体に良い温浴療法や、ヴィッテルのミネラルウォーターなどを提供している。
映画館やマルチメディアライブラリー、文化財博物館などで行われる数多くの文化的催しが、リフレッシュのための休息をさらに良いものにしてくれるだろう。
© Vittel congress

1971年、ヴィッテルは翌年のミュンヘンオリンピックに出場する選手たちのトレーニングキャンプ地に指定された。
マルチスポーツトレーニングセンター(CPO)を設立するにあたって、ヴィッテルはその「スポーツの街」としてのイメージを前面に押し出すと同時に、すでに確立されていた温泉地としての名声をより強固なものにしたものだ。
というわけで、ヴィッテルは夏季オリンピックの約20の種目すべてに対応したトレーニング施設を持っているのである。街全体がスポーツに捧げられているのだから、スポーツ施設以外にも、115人を収容できるホテル、高度な医療サービスなどの環境が揃っていても驚くには値しない。
この成功をうけて、ヴィッテルは次のような事項において他の町村の目標となったのである。すなわち、「包括的なスポーツ・アメニティとサービスの発展と提供」、「地方自治体による国、または国外との連携」、そして「一般市民への広報」などである。
© Vittel tourism congress

フランス北東部アルザス地方、オー=ラン県の首都であるコルマールは、ヴォージュ山脈の麓、ラン平原の中心に位置している。パリからTGVで3時間弱、ストラスブール、ドイツのフライブルク、スイスのバーゼルから車で1時間以内の場所にあり、年間200万人以上がこの街を訪れる。
自由の女神像を造った彫刻家のオーギュスト・バルトルディ生誕の地であるコルマールは、富と多様な建築遺産群をよく保存している街だ。中世、ルネッサンス、18世紀、そして19世紀の終わりと20世紀はじめにドイツ統治下であった時代などがここではよく理解できる(夜間の照明がこれをひき立てる)。2つの周到な計画がじきにこの遺産をさらに素晴らしいものにするだろう。ウンターリンデン博物館の拡大計画と、18世紀の歴史的建造物へのマルチメディアライブラリーの導入計画がそれである。
アルザスワインの主要地で、68,000の人口を持つコルマールは、その資産をうまく発展させ続けており、産業、教育、文化、観光、スポーツなど、すべての分野で高い名声を獲得している。
© Jean-Marc Hedoin

コルマールはアルザス地方の豊かな文化の中心地であり、素晴らしい文化的イベントや活動を楽しむことができる。8月のアルザスワイン祭では、25万人を超える来場者が会場のエキシビジョンパークと野外劇場を埋め尽くした。ここでは世界各地から集まった最高のミュージシャンたちによるコンサートも開かれた。
その他特筆すべきサマーイベントとしては、ロシアの世界的指揮者ウラジーミル・スピヴァコフが総合演出する国際フェスティバルがあり、7月最初の二週間におよそ1万人のクラシックファンがこの街に詰めかける。
9月から11月にかけては、ジャスフェスティバル、映画祭「映画の7日間」、ブックフェアがあり、これらがコルマールのイベント広告のすべてを埋め尽くす。
冬のホリデーシーズンが近づくと、5つの異なったテーマに沿ってクリスマス・マーケットが開かれ、コルマールはおとぎ話の世界のような雰囲気に包まれる。これがなんとも街を活気づけるのだ。
スポーツの大会ももちろんある。毎年6月末に行われる超長距離ウォーキング大会「パリ~コルマールウォーク」は、450kmを3日3晩かけて(!)歩くものだ。
© Jean-Marc Hedoin

ドゥー川に沿って曲がりくねり、7つの丘に囲まれたブザンソンは、フランシュ・コンテ地方の首都であり、ヴィクトル・ユーゴーやリュミエール兄弟生誕の地である。そしてここはかつて大規模な要塞都市であった。この街の戦争上有利な点は、カサエルの「ガリア戦記」にも記されている。2008年にはヴォーバン(フランスの軍人・建築家)によって造られた旧市街地を囲む大城壁(シタデル)が、ユネスコの世界遺産に選ばれた。
要塞でもあり、宗教上の中心地でもあったこの街。スタンダールは小説『赤と黒』において、ブザンソンを舞台として用いている。そこでの素晴らしい生活から「芸術と歴史の街」の名声を獲ているブザンソンは、歴史的遺産とハイカーに人気の2,400ヘクタールの緑地をもち、旅行者を飽きさせない。
複雑な精密機械製造の伝統と技術をもち、長らくフランスの時計製造工場の中心地だったブザンソンは、今やヨーロッパ、そして世界の微細加工技術の中心地となった。
大学都市としてもブザンソンは活気のある町である。ブザンソンの学生人口は122,000の総人口の5分の1近くに達する。
© City of Besancon’s communication direction

標高840メートルの広大なモミ林の真ん中に位置するポンタリエは、一年を通じてスポーツと文化イベントを楽しむことができる街だ。
ここはオー・ドゥー地方の経済上の首都でもある。フランスの主要な交通輸送ルート(N57)とTGVの交錯する場所に位置しており、活況の経済地区である。そこで活動する企業群(世界最大の食品会社ネスレを含む食品産業、機械産業、建設業界、金属・木材加工業など)は、地元共同体を構成する150もの中小企業と320の職人や同業組合と共存しよい成果を得ている。
ポンタリエの文化遺産を語るには、中世の遺産を思い出すといい。サンピエール門や17世紀のアノンシアド教会とキャプサン礼拝堂、かつての蒸留酒製造所で、アブサンから出来る食前酒がこの町の経済的繁栄と世界的名声を支えていた時代を思い出させる18世紀のマルゲ兵舎などがあるが、ポンタリエの最も美しい建築は疑いなくアルフレッド・マネシエのステンドグラス窓をもつサン・ベニーニュ大聖堂である。
© Philippe Ohrel

ヴェルビエの名は世界的に認められており、そこからは夢のようなアルペン競技場でのアクティブな休日が連想される。このスイスのリゾートは南西にモンブランを臨む、陽射しあふれる街だ。
6日間のハイキングツアー「ツール・ド・コンバン」はこのあたりで開催される。この冒険は1920年代に数人のスキーヤーが徒歩で定期的にヴェルビエの雪に覆われた斜面を登っていたところから始まった。より多くの旅行者がこのリゾートに集まるようになり、1950年には最初のリフトが導入された。
今日、ヴェルビエは4つの渓谷にまたがっており、全長410kmのコースをもつスイス最大のスキー場となっている。ヴェルビエではほとんどあらゆるウインタースポーツを楽しむことができ、4つの渓谷からなるスキー場はスキーヤーの楽園である。
夏には、レジャー活動やヴェルビエ音楽祭、グランレイドなどの有名な催しがある。ハイキング、マウンテンバイク、ゴルフ、パラグライダーなども楽しめるが、地域の伝統により深く触れるためにクラシック音楽祭や馬術ショーに参加してみるのもいいだろう。
© Verbier Bagnes Tourism

豊かな歴史を持つガロ・ロマン時代からの小都市であるマルティニは、スイス・ヴァレー州の文化的中心地である。この街での生活は実に、数えきれないほどの文化・芸術関係のイベントがなければ成り立たないほどなのである。ジアナダ財団美術館、セントバーナード犬博物館やマルチメディアライブラリーはそれの代表的な施設である。
イタリアへ至るグラン・サンベルナール峠、フランスへ至るフォルクラ峠、そしてローヌ川によって形成される三角形の中に位置しているマルティニだが、そこにはさまざまな歴史上あるいは建築上の宝が隠れている。高いところから街を見晴るかすと、バティア城が現れてくる。バティア城は13世紀にまで遡る要塞である。ほかに、5,000席の円形劇場や、ガロ・ロマン時代からの驚くほど保存状態のよい無数の遺物がこの街の財産である。
マルティニはまた美食家の天国だ。アスパラガスとトマトの栽培・生産が盛んであり、有名なモーラン社のブランデーを生産するために使われるウィリアム梨やアプリコットもある。
地中海性気候の豊かな陽射しに恵まれたこの街の住民は、「“南”はマルティニから始まる」と主張してはばからない。
© Valais tourism

フランスとイタリアの国境に近いブールサンモリス(とウィンタースポーツのリゾート地・レザルク)は、オート・タランテーズ地域とモンブランの玄関口にあたる。約8,000人の住民が暮らす感じのよいこの小さな山間の街には素晴らしい財産がある。世界で最も名高い山道とスキー場の麓という立地そのものである。これによって、冬と夏のバカンスの目的地としてこのような高い人気、メガリゾート地としての国際的な評価を獲得したのである。
ヴァノワーズ国立公園の近くを通るイゼール川の流れは、街の中にも入って来るのだが、こうなればウォータースポーツの水上コースを造らない手はないだろう(実際、定期的な国際イベントが開かれるような立派なコースができてしまった)。
ブールサンモリスのレザルクは先進的で実効性のある開発を行っている。たとえばそれは、完璧にアルプスの風景と融合するような土地開発であるが、これは創意にあふれた建築家グループの成果である。自然の地勢を尊重しこれを守りながらも、時には思い切って、治療効果のある温泉の周りに複合型レジャー施設を建設する勇気をも持ち合わせているのだ。ブールサンモリスのレザルクは、ツーリストの理想を体現しつつある。
© Tourism office of Les Arcs

伝説に残るほど有名なイゼラン峠、プティ・サンベルナール峠、ローズランド峠の丘陵地帯にあるブールサンモリスのレザルク・リゾートは、サイクリングの名所として確立しつつある。山道を登山するだけなんてもったいない。家族連れなら、イゼール川の岸辺と国際的な人気を持つレザルクの水上コースに沿って走る12キロのサイクリングロードはいかがだろう。100%の自然を満喫できるはずだ。8月に行われる自転車競技大会「シクロクール」は、この地域に住む障害者を援助するために計画されたもので、地元住民が実践しているサイクリングの伝統を示す良い一例といえるだろう。
さらに高地に上がってもいい。そこでは、どんなレベルのライダーでも安心して楽しめるよう、およそ100キロにわたってトレイルロードが敷かれている。この新しくできたばかりの「自転車公園」は、マウンテンバイクの天国のような場所なのだ。冬になると、ブールサンモリスは、スノースポーツのメガリゾートに変貌する。それも425キロものスキーコースを備えた“パラダイスキー”として。雪の中でのアクションいっぱいの楽しさは折り紙つきだ。
© Tourism office of Les Arcs

アラヴィ山脈の麓に寄り添うル・グランボルナンは、伝統的なフランスのアルプスの村で、成長著しい、活気あるスキーリゾート地でもある。
13世紀にルブローションチーズが生まれた場所であるが、クロスカントリースキー史上初めてのフランス人メダリストであるロディ・ダラゴン、そしてバイアスロンの世界チャンピオンに二度輝いたシルヴィ・ベカールの生誕地でもある。ル・グランボルナンは豊かな農業の地だが、ウィンタースポーツリゾートでもあり、90キロのアルペンスキーコース、60キロのクロスカントリースキーコース、雪靴でふみならされた45キロのウォーキングトレイルがある。夏には、高原の牧草地が登山者やグライダー乗りの棲家となる。
この山岳の村はツール・ド・フランスの常連コースとなっているが、ほかにも多くのイベントが開催される。子供たちのための国際フェスティバル「オ・ボニュール・デ・モーム」(子供の夢まつり)などである。
ル・グランボルナンはアヌシーオリンピック招致活動にも参加している。アヌシーは2018年冬季オリンピックの立候補都市であり、ここではバイアスロン競技を開催する予定だ。
© Tourism office of Le Grand-Bornand

歴史と芸術の街アヌシーは、その景観の美しさや自然遺産、また生活の質という点からも、高い評価を得た街である。オート・サヴォワ県の中心であるこの街の周辺は、とにかくすばらしいの一言だ。ヨーロッパ一の透明度を誇るアヌシー湖があり、見上げればアルプス山脈のアラヴィ、ボージュ両峠が迫る。スイスとイタリア国境は目睫の間である。
この地理的条件は街の経済活動にも貢献している。今日では最先端の技術、特にアニメーション映画制作の分野においてその傾向が著しい。
ここは観光の名所でもある。アヌシーは歴史ある旧市街を大事に保存してきたが、ここは旅行者に大変人気のスポットだ。四季折々に楽しめるアウトドアレジャーも開発してきた。
その見事な文化的景観を眺めれば、アヌシーが学園都市としても名高いことは容易に想像がつく。毎年6月にはアヌシー国際アニメーション映画祭が開かれ、夏はレイクフェスティバルが待っている。一年を通じて、他にも多くのスポーツイベントを開催する。
© City hall of Annecy

2009年3月18日、アヌシーは2018年冬季オリンピック・パラリンピックを開催するフランス候補都市に選ばれた。
世界一のウィンタースポーツリゾート地の中心に位置するオート・サヴォワ県は、冬季オリンピックの発祥地(シャモニー)であり、“アルプスのベニス”と呼ばれている。アヌシーがオリンピックを招致する上では、何度となく世界的なイベントを開催してきたこの地域の経験や知識は確実に頼りとなるはずだ(フランスのスキーW杯の6割がここで行われているのだから)。立候補都市アヌシーには有利な条件が揃っている。競技のためのインフラの70%は既にこの場所にあるのだし、オート・サヴォワ地域の宿泊施設は、100万人分のベッドを用意している。また競技会場への空路、鉄道、高速道路からのアクセスも容易だ。アヌシーの立候補は、未来の世代に贈る持続的発展のための誓いである。開催地の決定は、2011年の7月だ。
© City hall of Annecy

ローヌ・アルプス地方の中心にあって、大都市リヨンとグルノーブルを結ぶ中継地点に位置するブルゴワン・ジャリュは、人口25,000の小都市。リヨン・サン=テグジュペリ国際空港にも至近であり、つくづく地理条件に恵まれた街なのだ。
ブルゴワン・ジャリュには72のクラブやスポーツ組織があり、合わせて1万人の会員を持つのだから、この街がいかにスポーツが盛んであるかがわかる。
シドニー五輪の金メダリストであり、ライトフライ級世界チャンピオンであるボクサーのブライム・アスロム、ラグビーのステファン・グラ、そしてハンドボールの元フランス代表・ステファン・ストックランなど、みなこの街の生まれである。またプロラグビーリーグ「フランス選手権トップ14」のCSブルゴワン・ジャリュはこの街をホームタウンとしている。ブルゴワン・ジャリュがソーラーパネル生産において業界をリードする存在だということ以外に特筆すべき事柄はまだまだありそうだ。電子音楽フェスティバルや、ベルトラン・ラヴィエ作の彫像「オブジェ・ダール」も面白い。この彫像は、この街生まれの推理小説家フレデリック・ダールと、人気シリーズ小説「サン・アントニオ警視」の冒険譚に捧げられている。
© City of Bourgoin-Jallieu

アルデシュ渓谷を見渡す小高い岩山にひろがる人口12,000の小さな街オブナスは、南方の訛や輝く笑顔といった気質で人々に愛されている。眩しいほどに降り注ぐ真夏の太陽は、この街を訪れる旅行者の心をきっと躍らせるに違いない。1084年から1441年までこの土地を支配していた王朝はオブナスの経済を拡大し、市民に社会的・物質的な豊かさをもたらした。10世紀を跨いで今も残るこの王朝の城跡は、この街の最も偉大な歴史遺産として屹立している。モン・アルデシュ自然公園の端に位置しているオブナスは、「香り」の街でもある。毎週土曜に開かれるマーケットに横溢するかぐわしき匂いに、ひき込まれない人はいないであろう。プロヴァンス地方の周辺で最も華やかなこのマーケットでは、最近無農薬野菜がブームらしい。美食家たるもの、この土地の料理に失望するはずがない。オブナスをぜひ堪能あれ。
© M.Rissoan

リヨンとマルセイユのちょうど中間に位置するモンテリマールの街は、南仏プロヴァンス地方の入り口といった風情である。ここは、ドローム県の持つ長閑さと、拡大するメトロポリスの都市生活の魅力とが混在した街だ。
地元名菓「ヌガ」で知られるこの街は、古い遺跡などが並ぶ地区を完全に歩行者専用エリアとしたことでも有名だ。
遺跡、教会、博物館、邸宅、噴水、新たに修復された元兵舎・・・これら歴史的遺産は、とりもなおさず街の豊かさを表わすものであるが、モンテリマールはここに、涼しげなテラスとプロヴァンス風の市場、活気あふれる商工業、そしてすばらしい地元料理を持ち込み、真の優雅さというものを生活の中に見出すことに成功しているのである。
ローヌ・アルプス、プロヴァンス・アルプ・コートダジュール、ラングドック・ルシヨンの三つの地域圏が交叉するモンテリマールは今、新しい時代に進もうとしている。ここ数年来、新たに進出してくる企業や住民を迎えるたび、街は都市化が進んできた。街が持つ過去の遺産を守ることは決して忘れてはいけないが、時代に対応する新しいアイデンティティの獲得も同時に迫られているのだ。
この街には、21世紀の都市が与えられるべきさまざまなヒントが隠されている。
© K.Muller

“鷹の鏡”とは詩人ルネ・シャールによる表現だが、標高1912mに達するモンバントゥーの山は、9500万年前の白亜紀の岩盤が突き出たもの。その岩盤はヴォクリューズ県の境界を遥かに越えて伸びている。
遠い昔、豊かな森に包まれていたとされるモンバントゥーは今、サイクリストに1800mの高低差をプレゼントしているのだ。彼らはこの壮大な名所にしきりと集まっては、北のマロセーヌから、もしくは南のベドワンからその苦しすぎる登坂に挑戦する。
“プロヴァンスの巨人”と呼ばれるこの山は、1858年に一部植林が施され、東西に伸びること25キロ、総面積は580平方キロを超えるようになった。モンバントゥーは研究者、植物学者にとっての楽園である。彼らは麓で地中海性植物を、頂上ではアルプスの植物を発見するのだ。この素晴らしい自然はシカ、シャモア、イノシシの棲み処であり、ヨーロッパアカマツ、ブナ、カラマツそしてアトラスシーダに彩られているのである。
© Michel Deschamps-Presse Sport

セーヌ川とヨンヌ川の合流点に位置するモントロー・フォール・ヨンヌは、2つの川がぶつかるダイナミズムの中に、激動の歴史が今に息づく街である。新石器時代から解放の時代、百年戦争から産業革命に至るまで、街の暮らしは歴史的な事件に翻弄されてきた。1814年、ナポレオンは皇帝時代最後の戦争のひとつをここで戦った。川にかかる二つの橋の間に建立された騎馬像はその壮大な歴史を今に伝えている。
19世紀の終わりには、モントローはこのあたりの主要な産業の中心地となり、熟練した陶工たちは今に続くその匠の歴史の基礎を作った。1950年代、街は大きな経済的成長を経験し、1990年代半ばからは、新たな経済の動き―貿易の創造や地域社会の公共サービス、雇用創出や教育の主導など―にも柔軟に対応している。特筆すべきは6月のモントロー音楽祭であるが、これは豪華で野心的な文化事業のルネサンスである。
© J.P Chasseau

パリは、自転車が好きなのだ。今年もまたこの息を呑むほど美しい街で、英雄たちに惜しみない喝采を浴びせることができる歓びをなんとしよう。壮麗なシャンゼリゼ通りを駆け抜けるよりも素晴らしいゴールがあるだろうか? もしパリが二時間そこそこで歩き周れる大きさだとしたら、彼らはその英雄的行為を締めくくるのにほんの少ししか時間をかけないのに違いない。
パリっ子とフランス中の国民とを結束させるこの壮大な行事のおかげで、自転車競技というスポーツを、そのさまざまある競技形態の垣根を越えて祝福することができるのだ。そしてそれはスポーツだけに止まらない。パリの公共自転車ヴェリブは、すでに4300万回の貸出しを記録し、17万人の利用者を抱えるまでになった。ヴェリブはほどなく近接する30もの自治体に拡げられ、誰もが利用可能な400kmの自転車レーンは、5年後をめどにさらに200km伸長される予定だ。
パリは今年もツールの英雄たちにその道を明け渡す。そしてそれは徐々にだが、私たち自転車ファンに対しても広がっているのだ。今年、また来年と彼らがその雄姿を私たちに見せてくれる限りは、パリもまたそれを喜びとするのに違いない。
© Fred Mons ?Presse Sport
- 1st.Stage
モナコ[個人TT] 15.5km★★ - 2nd.Stage
モナコ〜ブリニョール 187km - 3rd.Stage
マルセイユ〜ラ・グランドモット 196.5km - 4th.Stage
モンペリエ[チームTT] 39km★ - 5th.Stage
カプダジュ〜ペルピニャン 196.5km - 6th.Stage
ヒローナ(スペイン)〜バルセロナ(スペイン) 181.5km - 7th.Stage
バルセロナ〜アンドラ・アルカリス 224km★★★ - 8th.Stage
アンドラ〜サンジロン 176.5km★★ - 9th.Stage
サンゴーダン〜タルブ 160.5km★★ - 10th.Stage
リモージュ〜イスデュン 194.5km - 11st.Stage
バタン〜サンファルジョー 192km - 12nd.Stage
トネール〜ビッテル 211.5km - 13rd.Stage
ビッテル〜コルマール 200km★ - 14th.Stage
コルマール〜ブザンソン 199km - 15th.Stage
ポンタルリエ〜ベルビエ(スイス) 207.5km★★★ - 16th.Stage
マルティニ(スイス)〜ブールサンモリス 159km★★★ - 17th.Stage
ブールサンモリス〜ル・グランボルナン 169.5km★★★ - 18th.Stage
アヌシー[個人TT] 40.5km★★ - 19th.Stage
ブルゴワン・ジャリュ〜オブナス 178km - 20th.Stage
モンテリマール〜モンバントゥー 167km★★★ - 21st.Stage
モントロー〜パリ・シャンゼリゼ 164km★














































